帰省して嬉しかったこと
子供の頃、定期的に母に連れられ病院に通っていた。その帰り道、時間が遅くなると、モスバーガーとか、普段食べないちょっといいもん食べて帰ることが多かった。うちからひと駅のカフェにもよく連れてってもらった。
たぶん当時開業したばっかりだったけど、店内の調度品やメニューのたたずまいなど、非常に優しい感じに気が配られているのが子供心にもよくわかり、特別な場所だった。店は細い用水路沿いに立っていて、入店するには小さな橋でその用水を渡らなければならないのが、またささやかな異境感を演出しているのだった。ハヤシライスがとても美味であり、今でも私のハヤシライスの基準はこの店になっている。「キッシュ」なんていう舶来の食物を初めて口にしたのもここ。
この日曜、帰省したついでにふらっと行ってみたら、なんとまだやっていた。「なんと」といっても、別につぶれたと思っていたわけではなく、冒頭の通院の習慣がなくなった後もずっと近くで暮らしていたから、営業を続けてらっしゃるのは知っていたんだけど、どうにもこんな素敵カッフェーに通うような青春時代ではなかった。ので、もう二十年はご無沙汰していた。私が高校生になったり大学生になったり貧乏したり失恋したり酒を飲みすぎたり更生したりしていた、その間も、この店はずっと変わらず素敵カッフェーとしてこの場所に経ち続けていた。その積み重ねに対して「なんと」という感慨が湧いたってわけ。
小学生の頃よく来てたんですよ、などと馴れ馴れしいことは言わず、おとなしくコーヒーとスコーンを頼みました。大変おいしかったです。
生存報告
生きてます。
前の記事(1年前)はトランプの選挙の話題でした。そのあとまもなく日本に帰国し、ブログ名に反して、今はカリフォルニアに身柄がありません。
米→日の逆カルチャーショックや、仕事の異動、身の回りにいろいろ変化があり、文章を書く気力がしばらく萎えていました。ツイッターで当たり障りのないことをぽつぽつつぶやいていましたが、自分の情動や思考を筋道立てて記録したり、誰かに問いかけるようなことをできずにいました。「また書いてよ」と言ってくれる人もいて嬉しかったのですが、どうにも応じるエネルギーが湧いてこず。参ったね。
2021年はつらいことが多めだったけど、どこまでも転落していくわけでもなく、楽しいこともちょこちょこ挟みながら、全体としては跳躍できず、中途半端な一年でした。ぱっとしない一年。ぜんぜん駄目ってわけじゃないけど、こんなにぱっとしない年も久しぶり。風向きを変えるための新しい試みをしようにも、疫病で手段は限られていて、一日一日をやり過ごすのがしんどい時期もありました。
そんな中でも、さすがに一年うじうじすると、うじうじに飽きるというか、心の体力も少しは回復し、出口を求めるベクトルが生じるものと覚ゆ。古い友人に会ったり、数少ない新しい出会いに刺激されたり、ようやく何かを先に進める意欲が少し湧いてきました。ようやく最近。
ここ数日は、気持ちのリハビリをさらに進めるため、この休眠ブログに再び何か書いてみようかなと考えていました。そんで、書いてみた。
書いてて思ったけど、こんな年に万事快調でバリバリ自己実現できてた人なんか多くないですよね。大いに忘年会など催して、肩を叩き合いたいわけです、ホントは。
みなさん元気ですか?
決着なき投票翌日に思うこと
カフェ行きたい
ロサンゼルスで飲食店の室内営業が禁じられてから半年。つまりカフェに行けなくなってから半年。それまで何か集中して読んだり書いたりしたいときには近所のいかしたカフェに依存していたので、とても困っている。自宅もまあまあ居心地はいいのだが、いかんせん無限に現実逃避ができるので知的生産性はガタ落ちだ。やっぱりベッドのある場所では頑張れない。
ただカフェイン飲料の提供所というだけにとどまらず、適度な音楽と空調と人のざわめきがあり、他所様の目の前であまり無軌道な怠惰もはばかられるという、あのカッフェーという空間の貴重さに思いを致す毎日である。
最近のロサンゼルスの飲食店はがんばって路上の使用許可を取って、テントやパラソルの下での食事提供を始めているのだが、やはりパティオ席では室内の調整された作業空間の代わりにはならない。
山火事でハイキングに行けなくなったのもあって、今月に入って活力がだだ下がり。困った困った言ってないで、そろそろベクトルを前向き上向きに修正していかないといけない。
続々・アトピー随想
「アジカンのソルファ以降を聞いてほしいからアルバムを紹介させてくれ」というブログ記事に触発されて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全アルバムを大人買いした。初期の大ヒット以降も、着実に変化と進歩を重ねているから新しい曲を聴けというのが先のブログの主旨。一通り聴いてみて、その通りだ!となった。本当にいいバンドだな。
311の後からだろうか、ボーカルのゴッチはリベラルの物言う音楽家になっている。いろいろ言う人はいるだろうけれども、Number Girlがレイシズムに走ったドラムを入れてしれっと再結成したり、ウルフルズのケイスケはんがTwitterで百田尚樹の『日本国紀』をほめてるのを見ちゃったりするこの時代に、一服の清涼剤というか、我ら青春の最後の砦という感じだ。最近の私は、人種差別を容認する人の音楽は、前にどれだけ好きだったとしてもちょっと聴けない。悩むけど、無理なのだ。
さて、忙しくて半月経ってしまったが、アトピーのことを書いていたのだった。長年の逡巡を越えて、自分の中にあるアトピーというものについて書いてみたら、少し反響があり、そのうち同じ病気を持つ人からの共感について書いたのが前回だった。
今日は「お前がアトピーだなんて全然知らなかった」という感想に即して何か書いてみたいと思う。あと「アトピーってこんな病気だったのか、知らなかった」という反応についても。
要するに、分かったことは、アトピーという私にとって超重要な病気のこと、他のみんなはこれまで考えたこともなかったということだ。私はコンプレックスの重さにぜえぜえ言いながら、あらゆるストレスと皮膚炎の因果関係について日々心を砕いてきたというのに。肌を全部はいで新しいのに貼り換えたい思いで毎夜のたうち回ってきたのに。世の中にとっては特に重要じゃなかった。
なーんだ。
これは痛快だ。
考えてみれば当然だ。他人の人格の歪みの原因なんて、ふつう知ったことではない。というか、他人にとっては歪んだ結果の私が、最初に出会う唯一の私なのだから、そもそも別に歪んでもいないのだ。
「関心を持たれていない」これはとても爽快なことだ。特に関心を持たれたくないと思っているときには。深刻なコンプレックスを克服できてから、もう何年も過ぎているけど、そんな単純なことを確認できて、あらためて解き放たれた気分になった。(脇にそれると、ロサンゼルスという街を吹き抜ける自由の感覚の正体は、人々の間の、お互いの事情への無関心だと思う)
もう自由だから、関心をもって真摯な気持ちでいろいろ質問をくれた人にも、気負いなく答えることができる。たぶん昔だったらこの話題については目を合わせることもできなかっただろう。
アトピーは四六時中のかゆみで集中力を奪うし、皮膚が破れたら痛いし、衣服の摩擦や過度の空調や暑さや寒さや失恋や静電気や、あらゆる刺激が悪化のトリガーになるよ。フケみたいに皮膚のカケラが常にぼろぼろ落ちるので、不潔な自己イメージで精神的に落ちることもしばしばだよ。でも掻きむしる刺激でかゆみを上書きするときの感覚は明らかに「快」だよ。そういう瞬間的に快・不快を切り替えるスイッチを、体の表面にまとっている人間がどうなるかというと、容易に依存症に陥るよ。これは薬物や人間関係への依存とも基本的に同じ構造だと思うよ。云々。
ただ、まあ、それだけ。
いいかげん大人なのでわかるけれども、みんなだってそれなりに固有の苦しみを抱えている。私だけずば抜けて大変なわけではない。天気が悪いと割れるように頭が痛む人、筋肉がだんだん動かなくなっていく人、月に一度股から血が出て体調が悪くなる人、それぞれだ。みんなが私のアトピーのことを知らなかったように、私の知らないみんなの病もあるのだ。それを知っていることが、なんというか、大切なのではないかと思う。
おわり。
続・アトピー随想
前回、アトピー経験について書いたら友人・知人からいくつか反応をもらった。大きく分けて二通り。「実はおいらもそうなんだ」というのと、「ぜんぜん知らんかった」というのと。
まず前者については素直にうれしい。昨日のエントリはものの弾みで唐突にポンと書いてしまったけど、ああやってアトピーを客体化して言語化できるようになるまで、私は30年以上かかっている。コンプレックスが強すぎて、はたち頃までは、アトピーであることを友人と話すことはおろか、自分の内心でも考えることを封じていたくらいだ。封じ込めたあまりに治療からも逃げてしまって、何年も医者に通わず、血とリンパ液をシャツににじませて暮らしていた。アトピーという事実ごと、心理学的な意味で否認していたわけだ。
幸いなことに、成長につれて周りの人と健全な人間関係を重ねることでコンプレックスがやわらぎ、徐々に自己肯定感が高まったものの、外に向けて自分の感じている世界を表現するにはさらに時間がかかった。mixi以来、SNS中毒となってネットに多量のテキストを放流してきた私だが、自分の根っこに深く結びついたアトピーのことを書くには非常に抵抗があった。
それを書かないと、私が日頃書き散らしているものの底にある感じ方、考え方をじゅうぶんに伝えることはできない、ということは前から分かっていた。それでもまとまりのある文章を書き上げることは難しかった。このブログを作ってからも、何回下書きをボツにしたか分からない。アトピーってこうなんだよね、そんでこういう大変なことがあるんだよね…キーボードを叩く先から何か違うという気がしてくる。こんなもの書いて、みんなにかわいそうだと思ってもらいたいのか?疾患の特徴を理解してもらって何か意味があるのか?そもそもお前がアトピー患者の代表として語る資格があるのか?自問しだすとみるみる気持ちがくじけてしまい、パソコンをそっと閉じる。それがいつものことだった。
いま振り返ると、アトピーを異物として切断していたから書けなかったのだと思う。「アトピーであるところの私」を引き受けないままでは、一般論としてアトピーを書くほかなく、医師でもない私がそれを書き上げることができないのは当然だった。恥を超えて、わたくしごととして書くためには、年をとって面の皮が厚くなるのを待つ必要があった。
前回のエントリは、そんな曲折を経て排出した文章であったから、少数であれ、同病諸氏から共感を得たのはうれしかった。上述のように、強固なコンプレックスを招く病気であるせいか、私たちはアトピー患者の主観世界について読むことはとても少ない。患者は何十万人もいるわりに、体験を書く人がいないのだ。コンプレックスは、それについて書くことができないからコンプレックスなのだ。
かろうじて目にするのは「これでアトピーが改善する!」とか、患者を右往左往させて金をかすめ取る、非当事者の言葉ばかりだ。中には意を決して言葉を紡ぎ始める当事者がいないではないが、たいていそのうち症状の悪化でブログの更新が止まったり、あやしい民間療法に傾倒していったり、病気の厄介さを象徴するような末路をたどることが多い。
別に当事者だけにそれを語る特権があるなどとは思わない。でも昨日書いたことはあんまり他の人が書かないことであったと思うし、自分が読みたくて読めなかったような文章でもあったし、それがなんと他人にまで「わかる」と言ってもらえるのは、ワンダフルとしか言いようがない。願わくば、アトピーだけでなく、他のいろいろな不調・コンプレックスを抱えた人に届く文章になっていてほしい。あるいは、そういう文章をこれから書いてみたい。
読者の二通りの反応のうち「まず前者については」と書き始めてから、やたら長くなってしまった。夜ふかしすると肌の回復が遅れるので、「後者」について書く前に、いったんここで切る。続きを書くかは不明。
アトピー随想
アトピー暦30年超。きわめてうっとうしい病気だが、アトピーによって他の人よりよくわかるようになったことも多い。というか、皮膚を人間と外界を隔てる境界だと仮定すれば、私の生まれてから経験した世界というものはすべてアトピーのフィルターを通したものだったのだ。このかゆみがなくなったらどんなに楽かと虚空を呪ったこと、何億兆回かわからないが、もしもアトピーがなかったら今の私は私ではなかっただろう。
人生の中でほんの数回だけ、かゆみがない時間というのがあった。ものすごく相性のいい温泉に入ったときとか、きついステロイドを大量に塗り始めたときとか、あるいは高熱で寝込んでかゆみどころではなくなったときとかだ。そんなとき、気分は不思議なほど爽快で、初めて眼鏡をかけたときのように、頭からノイズが消え、なんでもできるような感覚を味わうことができる。アトピーじゃない人はこんな素敵な世界に住んでいるのになんであんなに不満そうな顔をしているのだ?
しかし一方で、私は漠然とした寄る辺なさを覚える。かゆくないときっていったい何をすればいいのか。常に意識の一部をかゆみのコントロールに割いていたのに、そのエネルギーをどこにやればいいのか。寄っかかっていた壁が急に消え失せたら、おっとっととたたらを踏んでしまう。かゆみを抑え込む以上に、人生の時間を費やす価値のある行為って、なんだっけ。
心配しなくてもそんな時間は長くは続かず、アトピーは親切にもすぐにぶり返してきて、不安を塗りつぶしてくれる。かきむしったり薬を塗ったりの繰り返しの中で、またいつもの平穏な時間が過ぎていく。私は終わらないイライラの中で安定する。
このように、人生で何度か訪れたかゆみの空白と、そこからの復帰の繰り返しの中で、私は私の一部が病であることを理解したのだった。アトピーは私の外部に解決されるべき問題としてあるのではなく、私自身がアトピーなのだ。ものの感じ方、考え方の根っこにつねに「いっつもかゆい」という感覚が存在していて、そこから離れることはできない。
もちろん新薬の研究も日進月歩だし、これからの人生で完治することがあれば一人でパレードするくらいうれしいことだが、その治った私というのは今の私とはかなり違う人間になるのだと思う。どうせ時間がたてば人は変わるのだから取り立てて言うほどのこともないかもしれないけれど、この皮膚の不調は私の構成要素としてかなり基本的な位置を占めているので、やっぱり比較的に大ごとではあるだろう。
いろいろな病を抱えた友達と話をしてみると、慢性疾患をもった人というのはおそらく多かれ少なかれ、こういう「病を取り込んで育っちゃった感覚」を共有しているのだと思う。損から始まった感覚であるので、持ってても普段はあんまりいいことはないんだけど、たまに、なんだか普通では考えられないような様子のおかしい人とかに出くわしたときに、ああこの人の不調はこういうメカニズムで表現されているのかな?みたいな推測が立つようになる効果はある。たまに、役に立つ。