カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

LAホロコースト博物館

 近所で前から気になっていた博物館に行ってみた。

 その名をロサンゼルス・ホロコースト博物館*1という。ユダヤ人大虐殺を生き延びた人たちが、犠牲者の遺品などを集めて1961年につくった施設である。パン・パシフィック公園という、とてものどかな公園の一角に建っていて、静謐な感じのする建築だ。受付で気さくなスタッフが迎えてくれる。

 ホロコーストの現場となったヨーロッパにこういうものがあるのは当然だが、海を挟んでどころか、反対側の太平洋を向いているロサンゼルスに、このようなメモリアルがあるのは興味深い。それぞれの民族がルーツを保持しながら寄り集まっている、アメリカならではの現象ではないかと思う。

 展示の内容は、ナチスがドイツで政権を取った1933年から始まる。ロサンゼルス・タイムズをはじめ、どんどん深刻化していくヨーロッパの事情をアメリカに伝えた新聞記事や、犠牲者の遺品を時系列に追っていくという構成で、最後はサバイバーの証言ビデオで終わる。音声ガイドにかなり力を入れているようで、時間がなくてそれを利用しなかった私は、それぞれの遺品の背景などは十分に理解しなかった。

 しかし、たとえ正確な情報が読み取れなくても、すごい勢いでユダヤ人の人間性が剥奪されていった様子は伝わってくるし、強制収容が始まったあたりからは、当時行使された圧倒的な暴力に打ちのめされるばかりである。否、打ちのめされるというのは少し違う。起きたことが想像力の範疇を超えていて、唖然とするという感じだ。展示が淡々としているぶん、私は頭の中で、絶滅収容所を扱った「サウルの息子」という映画の陰惨なシーンを、繰り返し再生していた。殺される側であれ殺す側であれ、こんな絶望に追い込まれたら個人の尊厳などなんの問題にもならない。絶望と向き合ってしまってからでは遅い。

 ある展示では、リトアニアで亡命希望のユダヤ人のために、政府の指示に背いてビザを発行しまくった杉原千畝の肖像が大写しになっていた。彼のように自らの意志を貫ける条件に恵まれた人は、あらゆる意味で例外中の例外だっただろう。同じような苦しい判断を迫られたとき、自分は「今、ここが正念場」という認識がきちんとできるだろうか。甚だ不安である。

 ざっと流し見ただけでも、絶対的な「取り返しのつかなさ」だ。ほとんど知っているストーリーにも関わらず、受け止めきれない。

 重たい重たい訪問だったが、これには不思議な後日談が続く。

  

 ホロコースト博物館を訪れた数日後のこと、ある友人と雑談をしていた。彼いわく、

 「歴史って本当に面白いと思うんだよね」

 「僕の家族は東欧系で、僕は見ての通りただの白人なんだけど、親戚には瞳が黒かったり、変わった目の形の人がけっこういるんだよ。昔のモンゴル襲来の名残かと思うと面白いよね」

 ほうほう、なるほど。

 「ロサンゼルスも本当にいろんな歴史を背負った人が集まってるよね。それが一緒に暮らしてるんだからすごいよ」

 そうですね。あなたと私も然り。

 「第二次大戦のとき、リトアニアユダヤ人を助けた日本の外交官がいたでしょ?」

 杉原千畝のことですね。博物館で顔を見たばっかり。

 「あのとき助けられた人の中に、僕のおばあちゃんがいたんだよね」

 ・・・なんと。

 「彼のおかげで僕が生まれて、それで今、日本から来た君とこうしてしゃべってるわけ。歴史って本当に面白い」

 

 

 嘘のような本当の話。