カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

家事と時間

 家事というのは時間を越えた贈り物であると思う。あるいは投資。人の文化的な行動はほとんど全てそうであるけれども。

 さっき仕事から家に帰ってきて、疲れたのでラーメンでちゃちゃっと済まそかと台所に立ったときのこと。急にしみじみ感謝の念が湧いてきた。朝のうちに皿洗いを済ませておいた過去の俺よ、本当にありがとう…と。料理の前に片付けしないといけないのは気が滅入るし、時間が無駄にかかるのでとても助かった。

 これ、先に時間を使って皿を洗っておいたのは自分で、そのおかげを被っているのも自分で、感謝の自作自演、一見何の新たな価値も生まれていないような話だけど、時間をおいて確実に効用が増大している。皿洗いを後回しにして、晩飯づくりと連続させるよりかは、先にやっておいた方が明らかに気持ちがいいのである。やっておいた朝の私と、やっておいてもらった夜の私は、時間を隔てた他者であり、その間には贈与関係が成り立っている。

 他にも今日は、床をふいておいた自分のおかげで部屋を歩いても足にホコリがつかないし、洗濯しておいた自分のおかげで寝間着がパリッとしている。朝に野菜炒めを作っておいたおかげでラーメンに具が乗ったし、野菜炒めにはもっと前に仕込んでおいた白菜の漬物が入っている。みんな過去の自分の行為が時を経て実を結んだものだ。投資回収だ。

 寝る前に米を水に漬けておくこと、包丁を研ぐ前に砥石を吸水させておくこと、食器を決まった場所にしまうこと、全部、少し先の自分への贈り物である。家事、特に料理というものは、少し先の未来にもこの日常が変わらず続いていることを無意識に想定している。そういう意味で、すこぶる楽観的で希望にあふれた営みであるといえる。家族がいれば家族同士の贈り物になるけど、たとえそれが一人暮らしであっても、贈り贈られ暮らしていく本質は一緒である。