カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

【読んだ】司馬遼太郎『ニューヨーク散歩』

 「街道をゆく39 ニューヨーク散歩」を読んだ。

 BLMに関して脳みそに即時的な情報を取り込みすぎて、かなり疲れていた。アメリカについてもう少し落ち着いた言葉で書かれたものを読みたいと思った。ほんの気分転換のつもりで手にとったのに、一気に読んでしまった。

 司馬遼太郎が1992年にニューヨークを訪れたときの随筆だ。案内人の人柄や風景からニューヨークひいてはアメリカの歴史を語るのが前半。後半は友人ドナルド・キーンの人物評を主軸としながら、キーンの師でありコロンビア大学の日本学を築いた角田柳作のことや、キーンの弟子筋に当たるアメリカの日本研究者への印象を織り交ぜて、文学を通じたひとつの日米関係史が描かれる。

 キーンのことを空海にたとえたり、コロンビア大学のことを語るのにタウンゼント・ハリスとランダムハウス英語辞典の関係を引っ張ってきたり、さすがの縦横無尽ぶりだ。題名に反して、ニューヨーク自体のことを書いた文章は少ない。「街道をゆく」というシリーズはどの巻もそうかもしれないが。

 私の仕事のことは書かないようにしているので深く掘り下げないけれども、実際に会ったことのあるアメリカ人も文章の中にも幾人か出てくる。もれなく28年分若い姿でだ。めっぽう面白い。司馬遼太郎が知り合いの知り合いだったという新鮮な驚き。

 

 閑話休題。記憶が曖昧だがおそらくこの本を読むのは二度目だ。前は読み飛ばしていたこんな記述にちょっと引っかかりを感じた。ニューヨーク散歩を助けてくれた運転手の「マクドナルド氏」が考古学に熱中していることを聞いた、司馬の述懐。「マクドナルド氏」は生粋のニューヨーカーであり、黒人である。

この夢をきいて、私のアフリカ系アメリカ人への認識がかわった。黒人史以外のアメリカ史を“趣味”にするというのは、文明としての心の蒸留度がよほど高くなっているということなのである。(p.17)

 次いで史のその“趣味”に少し軽薄さを感じたというエピソードがあり、その後のこの文章。

だからといってマクドナルド氏の知性と教養が減点されてよいものではない。多くのアフロ・アメリカンにとって、かれらが服装に凝るように、氏にとっては、貝塚を“発見”したりすることが、ダンディズムのひとつかと思われるのである。(p.18)

  ここで大作家は「マクドナルド氏」の人物像を、自ら先入観として持っていた「アフリカ系らしさ」に比較しながら、評価を加えている。もちろん、人物の本質を特定の「時代精神」や「民族性」の典型としてつかむわざはこの作家の真骨頂であるし、この本ではユダヤ系もアイルランド系もドイツ系も、平等にそのわざによって鮮やかに描写されている。この本に出てくる全ての人物は、惜しみのない敬意をもって描き出されている。

 しかしなお、私はここで違和感を覚えざるを得ない。この国のポリティカル・コレクトネス文化に首まで浸かった今の私には、ほのかに表現された「上から目線」はあまりに明確だ。いや、大正生まれの司馬遼太郎がどれほどポリティカリー・コレクトであったかは、大した問題ではない。問題は、この上から目線を、当の私自身がたしかに引き継いでいるということである。これまでの人生で、決して多くはないがそれなりの数のアフリカ系の人と関わってきた。その過程で一度も「アフリカンにしては」という観点で人を見たことがない、と自信を持って言えるだろうか。とても言えない。違和感を覚えたのは、司馬遼太郎の書き方のせいではなく、内心の後ろめたさが呼び起こされたためであった。

 

 他、目を開かれる思いをしたのは、アイルランド系からアフリカ系への激しい排斥の歴史について書かれた箇所。もともと白人の中で最下級の地位に甘んじていたアイルランド系は、南北戦争終結後、解放された黒人に職を奪われる恐怖をひとつのきっかけとして凄惨なリンチに走ったという。

 元来、宗主国のイギリスに隷属させられ、一時は全島民が小作人にされた。

 かれらが大西洋をわたるとき、ブリテン島のリバプール港から出航した。リバプールは古くから奴隷売買で栄えていたから、そういう市を見たアイルランド人は黒人とみれば奴隷とおもいこんだかとおもわれる。

 やがてアイルランド人の多くは警察官になった。いまなおニューヨーク市警には多くのアイリッシュ系の警官がいて、まだ社会に参加しきっていないアフリカ系の犯罪者と追っかけっこを演じつづけている。(p.169)

 93年に書かれた文だが、今のアメリカのニュースを理解する上で 示唆に富む。

 また、この紀行文の最後には、92年の日本人留学生射殺事件が言及されている。ルイジアナ州に留学していた日本の高校生が、ハロウィンの夜に迷い込んだ民家の住人に拳銃で射殺された事件だ。刑事裁判は無罪となり、その後民事裁判で加害者の責任が認められた。遺族はアメリカに銃規制を求める署名を1年で百数十万筆集めている。本の結びをこの事件で締めているのも、現在の状況を見通した不思議な洞察に思えてならない。

 

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