カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス生活の日記だったけど、今は大阪にいます。

続・アトピー随想

 前回、アトピー経験について書いたら友人・知人からいくつか反応をもらった。大きく分けて二通り。「実はおいらもそうなんだ」というのと、「ぜんぜん知らんかった」というのと。

 まず前者については素直にうれしい。昨日のエントリはものの弾みで唐突にポンと書いてしまったけど、ああやってアトピーを客体化して言語化できるようになるまで、私は30年以上かかっている。コンプレックスが強すぎて、はたち頃までは、アトピーであることを友人と話すことはおろか、自分の内心でも考えることを封じていたくらいだ。封じ込めたあまりに治療からも逃げてしまって、何年も医者に通わず、血とリンパ液をシャツににじませて暮らしていた。アトピーという事実ごと、心理学的な意味で否認していたわけだ。

 幸いなことに、成長につれて周りの人と健全な人間関係を重ねることでコンプレックスがやわらぎ、徐々に自己肯定感が高まったものの、外に向けて自分の感じている世界を表現するにはさらに時間がかかった。mixi以来、SNS中毒となってネットに多量のテキストを放流してきた私だが、自分の根っこに深く結びついたアトピーのことを書くには非常に抵抗があった。

 それを書かないと、私が日頃書き散らしているものの底にある感じ方、考え方をじゅうぶんに伝えることはできない、ということは前から分かっていた。それでもまとまりのある文章を書き上げることは難しかった。このブログを作ってからも、何回下書きをボツにしたか分からない。アトピーってこうなんだよね、そんでこういう大変なことがあるんだよね…キーボードを叩く先から何か違うという気がしてくる。こんなもの書いて、みんなにかわいそうだと思ってもらいたいのか?疾患の特徴を理解してもらって何か意味があるのか?そもそもお前がアトピー患者の代表として語る資格があるのか?自問しだすとみるみる気持ちがくじけてしまい、パソコンをそっと閉じる。それがいつものことだった。

 いま振り返ると、アトピーを異物として切断していたから書けなかったのだと思う。「アトピーであるところの私」を引き受けないままでは、一般論としてアトピーを書くほかなく、医師でもない私がそれを書き上げることができないのは当然だった。恥を超えて、わたくしごととして書くためには、年をとって面の皮が厚くなるのを待つ必要があった。

 前回のエントリは、そんな曲折を経て排出した文章であったから、少数であれ、同病諸氏から共感を得たのはうれしかった。上述のように、強固なコンプレックスを招く病気であるせいか、私たちはアトピー患者の主観世界について読むことはとても少ない。患者は何十万人もいるわりに、体験を書く人がいないのだ。コンプレックスは、それについて書くことができないからコンプレックスなのだ。

 かろうじて目にするのは「これでアトピーが改善する!」とか、患者を右往左往させて金をかすめ取る、非当事者の言葉ばかりだ。中には意を決して言葉を紡ぎ始める当事者がいないではないが、たいていそのうち症状の悪化でブログの更新が止まったり、あやしい民間療法に傾倒していったり、病気の厄介さを象徴するような末路をたどることが多い。

 別に当事者だけにそれを語る特権があるなどとは思わない。でも昨日書いたことはあんまり他の人が書かないことであったと思うし、自分が読みたくて読めなかったような文章でもあったし、それがなんと他人にまで「わかる」と言ってもらえるのは、ワンダフルとしか言いようがない。願わくば、アトピーだけでなく、他のいろいろな不調・コンプレックスを抱えた人に届く文章になっていてほしい。あるいは、そういう文章をこれから書いてみたい。

 

 読者の二通りの反応のうち「まず前者については」と書き始めてから、やたら長くなってしまった。夜ふかしすると肌の回復が遅れるので、「後者」について書く前に、いったんここで切る。続きを書くかは不明。