カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

続々・アトピー随想

 「アジカンのソルファ以降を聞いてほしいからアルバムを紹介させてくれ」というブログ記事に触発されて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全アルバムを大人買いした。初期の大ヒット以降も、着実に変化と進歩を重ねているから新しい曲を聴けというのが先のブログの主旨。一通り聴いてみて、その通りだ!となった。本当にいいバンドだな。

 311の後からだろうか、ボーカルのゴッチはリベラルの物言う音楽家になっている。いろいろ言う人はいるだろうけれども、Number Girlレイシズムに走ったドラムを入れてしれっと再結成したり、ウルフルズのケイスケはんがTwitter百田尚樹の『日本国紀』をほめてるのを見ちゃったりするこの時代に、一服の清涼剤というか、我ら青春の最後の砦という感じだ。最近の私は、人種差別を容認する人の音楽は、前にどれだけ好きだったとしてもちょっと聴けない。悩むけど、無理なのだ。

 

 

 さて、忙しくて半月経ってしまったが、アトピーのことを書いていたのだった。長年の逡巡を越えて、自分の中にあるアトピーというものについて書いてみたら、少し反響があり、そのうち同じ病気を持つ人からの共感について書いたのが前回だった。

 今日は「お前がアトピーだなんて全然知らなかった」という感想に即して何か書いてみたいと思う。あと「アトピーってこんな病気だったのか、知らなかった」という反応についても。

 要するに、分かったことは、アトピーという私にとって超重要な病気のこと、他のみんなはこれまで考えたこともなかったということだ。私はコンプレックスの重さにぜえぜえ言いながら、あらゆるストレスと皮膚炎の因果関係について日々心を砕いてきたというのに。肌を全部はいで新しいのに貼り換えたい思いで毎夜のたうち回ってきたのに。世の中にとっては特に重要じゃなかった。

 

 なーんだ。

 

 これは痛快だ。

 

 考えてみれば当然だ。他人の人格の歪みの原因なんて、ふつう知ったことではない。というか、他人にとっては歪んだ結果の私が、最初に出会う唯一の私なのだから、そもそも別に歪んでもいないのだ。

 「関心を持たれていない」これはとても爽快なことだ。特に関心を持たれたくないと思っているときには。深刻なコンプレックスを克服できてから、もう何年も過ぎているけど、そんな単純なことを確認できて、あらためて解き放たれた気分になった。(脇にそれると、ロサンゼルスという街を吹き抜ける自由の感覚の正体は、人々の間の、お互いの事情への無関心だと思う)

 もう自由だから、関心をもって真摯な気持ちでいろいろ質問をくれた人にも、気負いなく答えることができる。たぶん昔だったらこの話題については目を合わせることもできなかっただろう。

 アトピーは四六時中のかゆみで集中力を奪うし、皮膚が破れたら痛いし、衣服の摩擦や過度の空調や暑さや寒さや失恋や静電気や、あらゆる刺激が悪化のトリガーになるよ。フケみたいに皮膚のカケラが常にぼろぼろ落ちるので、不潔な自己イメージで精神的に落ちることもしばしばだよ。でも掻きむしる刺激でかゆみを上書きするときの感覚は明らかに「快」だよ。そういう瞬間的に快・不快を切り替えるスイッチを、体の表面にまとっている人間がどうなるかというと、容易に依存症に陥るよ。これは薬物や人間関係への依存とも基本的に同じ構造だと思うよ。云々。

 ただ、まあ、それだけ。

 いいかげん大人なのでわかるけれども、みんなだってそれなりに固有の苦しみを抱えている。私だけずば抜けて大変なわけではない。天気が悪いと割れるように頭が痛む人、筋肉がだんだん動かなくなっていく人、月に一度股から血が出て体調が悪くなる人、それぞれだ。みんなが私のアトピーのことを知らなかったように、私の知らないみんなの病もあるのだ。それを知っていることが、なんというか、大切なのではないかと思う。

 

おわり。