カフェ行きたい
ロサンゼルスで飲食店の室内営業が禁じられてから半年。つまりカフェに行けなくなってから半年。それまで何か集中して読んだり書いたりしたいときには近所のいかしたカフェに依存していたので、とても困っている。自宅もまあまあ居心地はいいのだが、いかんせん無限に現実逃避ができるので知的生産性はガタ落ちだ。やっぱりベッドのある場所では頑張れない。
ただカフェイン飲料の提供所というだけにとどまらず、適度な音楽と空調と人のざわめきがあり、他所様の目の前であまり無軌道な怠惰もはばかられるという、あのカッフェーという空間の貴重さに思いを致す毎日である。
最近のロサンゼルスの飲食店はがんばって路上の使用許可を取って、テントやパラソルの下での食事提供を始めているのだが、やはりパティオ席では室内の調整された作業空間の代わりにはならない。
山火事でハイキングに行けなくなったのもあって、今月に入って活力がだだ下がり。困った困った言ってないで、そろそろベクトルを前向き上向きに修正していかないといけない。
続々・アトピー随想
「アジカンのソルファ以降を聞いてほしいからアルバムを紹介させてくれ」というブログ記事に触発されて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全アルバムを大人買いした。初期の大ヒット以降も、着実に変化と進歩を重ねているから新しい曲を聴けというのが先のブログの主旨。一通り聴いてみて、その通りだ!となった。本当にいいバンドだな。
311の後からだろうか、ボーカルのゴッチはリベラルの物言う音楽家になっている。いろいろ言う人はいるだろうけれども、Number Girlがレイシズムに走ったドラムを入れてしれっと再結成したり、ウルフルズのケイスケはんがTwitterで百田尚樹の『日本国紀』をほめてるのを見ちゃったりするこの時代に、一服の清涼剤というか、我ら青春の最後の砦という感じだ。最近の私は、人種差別を容認する人の音楽は、前にどれだけ好きだったとしてもちょっと聴けない。悩むけど、無理なのだ。
さて、忙しくて半月経ってしまったが、アトピーのことを書いていたのだった。長年の逡巡を越えて、自分の中にあるアトピーというものについて書いてみたら、少し反響があり、そのうち同じ病気を持つ人からの共感について書いたのが前回だった。
今日は「お前がアトピーだなんて全然知らなかった」という感想に即して何か書いてみたいと思う。あと「アトピーってこんな病気だったのか、知らなかった」という反応についても。
要するに、分かったことは、アトピーという私にとって超重要な病気のこと、他のみんなはこれまで考えたこともなかったということだ。私はコンプレックスの重さにぜえぜえ言いながら、あらゆるストレスと皮膚炎の因果関係について日々心を砕いてきたというのに。肌を全部はいで新しいのに貼り換えたい思いで毎夜のたうち回ってきたのに。世の中にとっては特に重要じゃなかった。
なーんだ。
これは痛快だ。
考えてみれば当然だ。他人の人格の歪みの原因なんて、ふつう知ったことではない。というか、他人にとっては歪んだ結果の私が、最初に出会う唯一の私なのだから、そもそも別に歪んでもいないのだ。
「関心を持たれていない」これはとても爽快なことだ。特に関心を持たれたくないと思っているときには。深刻なコンプレックスを克服できてから、もう何年も過ぎているけど、そんな単純なことを確認できて、あらためて解き放たれた気分になった。(脇にそれると、ロサンゼルスという街を吹き抜ける自由の感覚の正体は、人々の間の、お互いの事情への無関心だと思う)
もう自由だから、関心をもって真摯な気持ちでいろいろ質問をくれた人にも、気負いなく答えることができる。たぶん昔だったらこの話題については目を合わせることもできなかっただろう。
アトピーは四六時中のかゆみで集中力を奪うし、皮膚が破れたら痛いし、衣服の摩擦や過度の空調や暑さや寒さや失恋や静電気や、あらゆる刺激が悪化のトリガーになるよ。フケみたいに皮膚のカケラが常にぼろぼろ落ちるので、不潔な自己イメージで精神的に落ちることもしばしばだよ。でも掻きむしる刺激でかゆみを上書きするときの感覚は明らかに「快」だよ。そういう瞬間的に快・不快を切り替えるスイッチを、体の表面にまとっている人間がどうなるかというと、容易に依存症に陥るよ。これは薬物や人間関係への依存とも基本的に同じ構造だと思うよ。云々。
ただ、まあ、それだけ。
いいかげん大人なのでわかるけれども、みんなだってそれなりに固有の苦しみを抱えている。私だけずば抜けて大変なわけではない。天気が悪いと割れるように頭が痛む人、筋肉がだんだん動かなくなっていく人、月に一度股から血が出て体調が悪くなる人、それぞれだ。みんなが私のアトピーのことを知らなかったように、私の知らないみんなの病もあるのだ。それを知っていることが、なんというか、大切なのではないかと思う。
おわり。
続・アトピー随想
前回、アトピー経験について書いたら友人・知人からいくつか反応をもらった。大きく分けて二通り。「実はおいらもそうなんだ」というのと、「ぜんぜん知らんかった」というのと。
まず前者については素直にうれしい。昨日のエントリはものの弾みで唐突にポンと書いてしまったけど、ああやってアトピーを客体化して言語化できるようになるまで、私は30年以上かかっている。コンプレックスが強すぎて、はたち頃までは、アトピーであることを友人と話すことはおろか、自分の内心でも考えることを封じていたくらいだ。封じ込めたあまりに治療からも逃げてしまって、何年も医者に通わず、血とリンパ液をシャツににじませて暮らしていた。アトピーという事実ごと、心理学的な意味で否認していたわけだ。
幸いなことに、成長につれて周りの人と健全な人間関係を重ねることでコンプレックスがやわらぎ、徐々に自己肯定感が高まったものの、外に向けて自分の感じている世界を表現するにはさらに時間がかかった。mixi以来、SNS中毒となってネットに多量のテキストを放流してきた私だが、自分の根っこに深く結びついたアトピーのことを書くには非常に抵抗があった。
それを書かないと、私が日頃書き散らしているものの底にある感じ方、考え方をじゅうぶんに伝えることはできない、ということは前から分かっていた。それでもまとまりのある文章を書き上げることは難しかった。このブログを作ってからも、何回下書きをボツにしたか分からない。アトピーってこうなんだよね、そんでこういう大変なことがあるんだよね…キーボードを叩く先から何か違うという気がしてくる。こんなもの書いて、みんなにかわいそうだと思ってもらいたいのか?疾患の特徴を理解してもらって何か意味があるのか?そもそもお前がアトピー患者の代表として語る資格があるのか?自問しだすとみるみる気持ちがくじけてしまい、パソコンをそっと閉じる。それがいつものことだった。
いま振り返ると、アトピーを異物として切断していたから書けなかったのだと思う。「アトピーであるところの私」を引き受けないままでは、一般論としてアトピーを書くほかなく、医師でもない私がそれを書き上げることができないのは当然だった。恥を超えて、わたくしごととして書くためには、年をとって面の皮が厚くなるのを待つ必要があった。
前回のエントリは、そんな曲折を経て排出した文章であったから、少数であれ、同病諸氏から共感を得たのはうれしかった。上述のように、強固なコンプレックスを招く病気であるせいか、私たちはアトピー患者の主観世界について読むことはとても少ない。患者は何十万人もいるわりに、体験を書く人がいないのだ。コンプレックスは、それについて書くことができないからコンプレックスなのだ。
かろうじて目にするのは「これでアトピーが改善する!」とか、患者を右往左往させて金をかすめ取る、非当事者の言葉ばかりだ。中には意を決して言葉を紡ぎ始める当事者がいないではないが、たいていそのうち症状の悪化でブログの更新が止まったり、あやしい民間療法に傾倒していったり、病気の厄介さを象徴するような末路をたどることが多い。
別に当事者だけにそれを語る特権があるなどとは思わない。でも昨日書いたことはあんまり他の人が書かないことであったと思うし、自分が読みたくて読めなかったような文章でもあったし、それがなんと他人にまで「わかる」と言ってもらえるのは、ワンダフルとしか言いようがない。願わくば、アトピーだけでなく、他のいろいろな不調・コンプレックスを抱えた人に届く文章になっていてほしい。あるいは、そういう文章をこれから書いてみたい。
読者の二通りの反応のうち「まず前者については」と書き始めてから、やたら長くなってしまった。夜ふかしすると肌の回復が遅れるので、「後者」について書く前に、いったんここで切る。続きを書くかは不明。
アトピー随想
アトピー暦30年超。きわめてうっとうしい病気だが、アトピーによって他の人よりよくわかるようになったことも多い。というか、皮膚を人間と外界を隔てる境界だと仮定すれば、私の生まれてから経験した世界というものはすべてアトピーのフィルターを通したものだったのだ。このかゆみがなくなったらどんなに楽かと虚空を呪ったこと、何億兆回かわからないが、もしもアトピーがなかったら今の私は私ではなかっただろう。
人生の中でほんの数回だけ、かゆみがない時間というのがあった。ものすごく相性のいい温泉に入ったときとか、きついステロイドを大量に塗り始めたときとか、あるいは高熱で寝込んでかゆみどころではなくなったときとかだ。そんなとき、気分は不思議なほど爽快で、初めて眼鏡をかけたときのように、頭からノイズが消え、なんでもできるような感覚を味わうことができる。アトピーじゃない人はこんな素敵な世界に住んでいるのになんであんなに不満そうな顔をしているのだ?
しかし一方で、私は漠然とした寄る辺なさを覚える。かゆくないときっていったい何をすればいいのか。常に意識の一部をかゆみのコントロールに割いていたのに、そのエネルギーをどこにやればいいのか。寄っかかっていた壁が急に消え失せたら、おっとっととたたらを踏んでしまう。かゆみを抑え込む以上に、人生の時間を費やす価値のある行為って、なんだっけ。
心配しなくてもそんな時間は長くは続かず、アトピーは親切にもすぐにぶり返してきて、不安を塗りつぶしてくれる。かきむしったり薬を塗ったりの繰り返しの中で、またいつもの平穏な時間が過ぎていく。私は終わらないイライラの中で安定する。
このように、人生で何度か訪れたかゆみの空白と、そこからの復帰の繰り返しの中で、私は私の一部が病であることを理解したのだった。アトピーは私の外部に解決されるべき問題としてあるのではなく、私自身がアトピーなのだ。ものの感じ方、考え方の根っこにつねに「いっつもかゆい」という感覚が存在していて、そこから離れることはできない。
もちろん新薬の研究も日進月歩だし、これからの人生で完治することがあれば一人でパレードするくらいうれしいことだが、その治った私というのは今の私とはかなり違う人間になるのだと思う。どうせ時間がたてば人は変わるのだから取り立てて言うほどのこともないかもしれないけれど、この皮膚の不調は私の構成要素としてかなり基本的な位置を占めているので、やっぱり比較的に大ごとではあるだろう。
いろいろな病を抱えた友達と話をしてみると、慢性疾患をもった人というのはおそらく多かれ少なかれ、こういう「病を取り込んで育っちゃった感覚」を共有しているのだと思う。損から始まった感覚であるので、持ってても普段はあんまりいいことはないんだけど、たまに、なんだか普通では考えられないような様子のおかしい人とかに出くわしたときに、ああこの人の不調はこういうメカニズムで表現されているのかな?みたいな推測が立つようになる効果はある。たまに、役に立つ。
【読んでる】町村敬志『越境者たちのロスアンジェルス』
ちょっと仕事が忙しくなってきたら、また変な夢を見た。
自分はなぜか大学院生だという設定。架空の学会に向けてよく分からない発表予定を入れられ、よく知らないパネルディスカッションの司会もやれと言われ、え〜どうしよう困った困ったと言って準備に手がつかないうちに当日になってしまい、すっぽかして逃げた。すぐ捕まって架空の先輩にめっちゃ怒られる。「いきなり穴埋めさせられて本当に大変だったのよ?」ってネチネチ詰めてくる架空の博士院生の先輩。誰か知らんがすいませんすいませんなんだこれ夢がない!!
完全に仕事の比喩である。夢のすべての要素が直近のストレスにあからさまに結びついていて、なんのひねりもない。寝た気がしない。やれやれ。今度の週末はきっちり気分転換しないといけない。
大学院生になった夢とは関係ないけど、いや関係あるか、町村敬志先生の『越境者たちのロスアンジェルス』という本を読み始めた。99年に出た本で、90年代前半にUCLAで客員研究員をされてたときの調査に基づいて書かれている。これがもう自分の経験に実に深く関わる内容で、うおおおセンセーっと心の中で叫びながらページをめくっている。
私は3年前にこの街に来たとき、目に見える風景に強烈な違和感を覚えて、それをブログに記録したりもした。本の最初の方には、私より20年以上前にこの街に降り立った町村先生もまた、似たような違和感を覚えたことが書かれている。そこでもう共感の嵐なのだが、私と違うのはその違和感を分厚い学識でごりごり掘り下げていくところだ。
あらゆる人々がそれぞれに「違和感」を体験すること。ちょっと逆説的ではあるが 、この「違和感」の存在こそが、この街の開放性の証となっていることに、やがて気がついた。
ロスアンジェルスという都市がみせるもうひとつの顔、それはむしろ徹底した「冷たさ」という一面にある。この街で期待されているのは、必ずしも暖かな「共同体」ではない。また、すべてを許してくれるような濃密な人間関係でもない。それを言葉にするのは難しい。しかし強いていえば、「居場所」のなさを「居場所」にするという独特の感覚が、人々のあいだには漂う。(P.18)
まださわりを読んだだけだが、ロサンゼルスで私が日々感じている底抜けの自由さと、それと裏腹な寂しさ、根無し草の感覚が、社会科学の対象として書かれていくことの快感がある。さらに、この街の一見どうしようもない薄っぺらさに隠された、歴史の蓄積についても、これまで見聞きしてきた断片的印象が数珠つなぎに関係づけられていくこと、読めば読むほどである。すぐれた著述は読者の「嗚呼私はこれを言いたかったのだ」という感覚を誘導する。
また、私の個人的経験を脇に置いても、町村先生が「エスニシティの都市」ロサンゼルスを書いていくそのやり方はとてもエキサイティングだ。私もごく自然にロサンゼルスはたくさんのエスニシティが集まっている都市なのだと認識していたが、この本では「人々がロサンゼルスをエスニシティで語るように仕向けられていること」それ自体が分析の対象となっている(らしい、たぶん)。「人種」というイシューがこれ以上ないほど顕在化した今のアメリカで、ちょうど手に取れるようにこの本を部屋に積んでいた私は、とてもえらい。
いろんな意味で過去からの贈り物な読書です。
「同調圧力」とプライド
「同調圧力」という言葉がよく分からない。成人してから初めて耳にするようになった。たぶん感じていなかったわけではないんだろうけど、学校という空間に充満するその嫌な感じをその言葉では呼んでいなかった。それに名前をつけるより先に、それを無視することを覚えてしまったので、大人が同調圧力なるものを気にしているというのは、正直よく分からない。よく分からないというのは、反語的にけなしているのではなく、文字通りそれがどういうことか理解できないという意味だ。私がその影響を受けていないということでもない。ともかく、苦しくなるまで圧力を我慢するほどの根気は、どこかに置いてきてしまった。
だから、耐えねばならない何かとして、同調圧力の強さを論じるというのがよく分からない。畢竟、逃げるか戦うかじゃないのか。もちろんこれは私の生存バイアスであって、逃げることも戦うこともできない人にそんなことは言えない。
ここ数年、同調圧力に関する悩みを相談されることがしばしば。私自身がそれに関して悩むことをやめてしまってもう長いこと経つので、あんまり共感できずに困っている。逃げるのと戦うのと、他に何か選択肢があるだろうか。聞くだけ聞いてガス抜きできればいいならそれでもいいんだけど。
6月はプライド月間、ということでコロナに対応してYouTubeにプライド・コンサートがアップされていた。独立記念日の連休中、その1時間半のビデオを少しずつ見ていた。演者の私物として、モンスターボールの置物、ピカチュウのぬいぐるみ、キノピオのぬいぐるみ、と任天堂グッズが3回も出てきた。強し。
フェス形式でたくさん人が出てくる中で、印象に残ったのは次の3つ。
- BETWEEN FRIENDS(LAベースの兄妹ボーカル+ドラマーのトリオ)
- G Flip(メルボルンのシンガーソングライター)
- Alex the Astronaut(シドニーのシンガーソングライター)
なんだかオーストラリアに呼ばれている気がするな。
PRIDE: INSIDE, A Virtual Pride Celebration
あとプライド関連ではこの動画もよかった。シンディ・ローパーが、ミュージカル「キンキー・ブーツ」の世界中のキャストと大合唱するの。日本からはソニンと三浦春馬が参加。シンディ・ローパーもソニンも好きなので、わたしゃちょっと泣いた。
'Let pride be your guide'って、お守りとして懐にいれておきたいフレーズだ。