カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

【読んだ】谷崎潤一郎『春琴抄』

 これまで谷崎潤一郎は教科書に載っていた『陰翳礼讃』くらいしか読んだことがなかった。去年たいへん面白く読んだ『日本語が亡びるとき』で水村美苗が日本近代文学の重要性をこれでもかと強調していたこともあり、積ん読にしていた『春琴抄』を読んでみた。(水村は学校教育で近代文学をガンガン教科書に載せて読ませろと言っているのだが、なるほど私でも陰翳礼讃くらいは覚えているので教科書というのは大したものだ)

 『春琴抄』は春琴という盲目の女性と、それに盲目的に付き従う佐助という男の、ひねくれた情愛の物語だ。ひねくれた、というのは傍観者からはそう見えるというだけのことであって、登場人物はそれぞれの場面で彼らにとってそれしかないという行動をまっすぐ選択している。

 あとからネットで書評などチェックしていると「耽美的」というのがこの作品を語るときの枕詞であるようだ。「耽美的」とはすなわち「道徳の要請から外れることを厭わずひたすら美を追求する表現」のことをいうらしい。

 しかし私はいささか過激な愛の形を描いたこの小説を読んで、それほど「美に耽っている」という印象は受けなかった。世間一般の常識から外れる形ではあっても、春琴も佐助も「相手を思いやる」とか「自分の信念を通す」といった普遍的な課題を背負いながら物語世界に設けられた様々な制約の中で真摯に足掻いている。それを耽美と呼ぶのは文学史のならいであって私がとやかく言うことではないが、この短く簡潔な表現に徹した『春琴抄』という小説に限っては、耽美的な表現というよりむしろ、見かけの異常性に託して普遍的な人間の姿を描いているからこそ読者の胸を打つのではないかと思った。いろいろな読み方を許容するのが名作の名作たる所以だろうが、私はそんな風に読んだ。

 

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)