カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス生活の日記だったけど、今は大阪にいます。

沢筋散歩(Monrovia Canyon Falls)

 久しぶりにハイキング行ってきた。と言っても往復1時間ほどのお散歩コース。昼過ぎから歩き始めて、おやつの時間には帰ってこられる手軽さだ。寝坊したから無理かなーと諦めかけたけど、昨日の夜中のうちにサマータイム終了で1時間巻き戻っていたので今日は少し1日が長いのだ。

 ロサンゼルスの北東部にはAngeles National Forestという保護区がある。3,000m級も抱える一大山地なのだが、今日行ったMonrovia Canyonはその山裾も山裾。瀟洒な住宅街からちょっと上がったところにある谷を歩くコースだ。こういう手軽な谷は大きな山の麓に沿って他にもいくつかある。背後の山から水を集めて沢が流れていたり、小さな滝ができていたりするため、いずれも家族連れにとても人気がある。

 車で登り口まで行くと駐車場があり、レンジャーステーションで6ドル払って駐車券を買う。水辺があるのでシオカラトンボの仲間がたくさん飛んでいる。

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何かの実

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California Fuchsia (Epilobium Canum) かな?

 秋深し…というには日差しが強烈すぎるが、植物に夏の勢いはない。網を張るクモが成長して目立っているのなんかは日本の秋と同じだ。

 沢沿いの道は大きなオーク(おそらくQuercus chrysolepis)が日を遮ってくれている。普段あんまり広葉樹の森を歩くことはないので、なんだか懐かしい感じがする。こちらの山ではオーク(楢)の仲間はこうした沢筋によく生えている。地下水に深く結びついた木である。ものの本によると、カリフォルニア州には21種類のオークが自生していて、そのドングリは先住民の主要な栄養源のひとつだったという。

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乾季真っ只中にも涸れない小川

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あっという間に終点の滝

 水音を聞きながらようやくウォームアップが済んだかなというところでコースは行き止まり、落差9メートルほどの滝のまわりで人々が三々五々涼んでいる。ガラガラヘビにだけ気をつけていれば、アップダウンもほとんどないし、実に気軽なトレイルである。正直なところ私には歩き足りなかったが、それでも久しぶりのリハビリにはちょうどよかったし、やっぱり街とは空気が違うので気持ちがいい。

 観察できた虫としては、まずハエが多くて閉口したのと、中型のチョウが目についた。滝の横には吸水に来たのか、黒地にオレンジの紋が目立つ綺麗なタテハチョウが2匹ほど。帰って調べてみたらCalifornia Sister (Adelpha calofornica) という種類で、幼虫は沢筋のオークを食べて育つらしい。

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子どもが集まってたので寄って撮れなかった

 

 ちょっと面白かったのは下の写真の個体。たぶん同じCalifornia Sisterなんだけど、ずっとオークの葉っぱに止まって、羽を開いたり閉じたりしている。産卵でもしてるのかなと思ってよく見たらさかんに口吻を伸ばして葉の表面をなめている。かさかさした埃っぽい葉っぱに何があるのかと、その枝を手元に引き寄せてみてみると、葉の表面にうっすらとべとつく何かがふりかかっている。

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 さてはと思ってその上を探してみると、案の定カイガラムシ(植物の汁を吸うアブラムシの仲間)の集団が葉の裏にくっついていた。チョウはこいつらの糖を含んだ排泄物をなめていたのだ。夏が終わって花の蜜もほとんどなくなって、自分の羽もボロボロになりながら、それでも懸命にエネルギーの摂取につとめる姿は美しい。

 週末のたった1時間だったけど、ずっと昔から続いてきた、小さな生物同士のつながりを見ることができた。

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【観た】ロサンゼルスでポン・ジュノ特集

 近くでポン・ジュノ監督作品の特集をやるというので、木曜、土曜と観てきた。「グエムル-漢江の怪物-」「母なる証明」「オクジャ」「殺人の追憶」の4本。

 ロサンゼルスで様々な上映プログラムを運営しているAmerican CinemathequeというNPOによる上映だった。このNPOはハリウッドのEgyptian Theatreと、サンタモニカのAero Theatreという2つの映画館を持っていて、今回どちらも行くことができた。大画面でフィルムを映すというコンセプトでやっているところで、雰囲気がとてもよかった。開始時間から延々15分PRを見せられたりしなかったし。

 

 プログラムは4日連続で、そのうち2回も監督本人が来るらしかったけど、あいにくどちらも仕事の都合がつかず。初日は「グエムル」と「母なる証明」の2本立て。ハロウィンで浮かれるハリウッドまで観に行った。

 実はこの2本は前に観たことあった。観るまで忘れてた。「グエムル」は大学の朝鮮語の先生が「社会風刺を含んで面白い」と勧めていたのは覚えている。それを聞いてビデオ屋で借りたのだったか、実家のBS放送で観たのだったか。今回もう一度観たら、米軍による化学汚染、民主化世代の経済的停滞、ソウルのコンクリ建築の冷たさなど、重要なモチーフがよりくっきり見えてよかった。あとペ・ドゥナがジャージで矢を放つ姿が良すぎる。

 「母なる証明」はオープニングで一面のススキ野原でふらふら踊り始めるキム・ヘジャ(役名:母)がとにかく強烈で引き込まれる。ストーリーが二転三転するサスペンスなのだが、すべて綺麗に忘れていたので初見のように楽しめた。斜面にびっしり貼り付いた貧しい家々の間の迷路のような小路が象徴的。

 

 今日土曜日はサンタモニカの映画館にて2本立て。

 「オクジャ」はCGにより作り出された架空の巨大哺乳類と少女が心通わせる話。2017年発表。Netflix専用の作品ということで、取り扱いについてカンヌ国際映画祭が揉めたというエピソードがある。動物と少女の関係は「あ、これトトロのあのシーン」とか「これはナウシカ王蟲だな」とか明らかに分かるオマージュが目立つ。監督本人も宮崎駿の影響を言及しているらしい。ただ、他の作品に比べると面白さは一歩劣ると言わざるを得ない。巨大生物を狙う多国籍企業と、それを守ろうとする動物愛護団体(実在の過激組織)が出てきて、後者は主人公の少女に協力するというストーリー。多国籍企業が悪いのはそれは悪いんだけど、動物愛護団体の方もそれはそれで行動原理が独善的で、見ててイライラするのだ。劇中で提起された問題はほとんど放置されたまま終わるし。

 「殺人の追憶」は超ヒット作ながら、なんとなくこれまで縁がなかった作品。ビデオ借りたのに忙しくてそのまま返却したりとか。そんで、これはもうむちゃくちゃ面白かった。ポン・ジュノ監督の長編2作目ということだが、今回観た4本の中でダントツにしびれた。農村の泥と原っぱの上を風がびゅうびゅう吹いている感じとか、激しい雨、貧しい街の出口のない感じとか、「母なる証明」の描写の原型が感じられる。これもずっしりとした「終わってない感」が残る映画だが、「オクジャ」と違ってとても効果的にラストが映画のテーマを引き締めている。これはすごい映画だ。

 

 ということで、観た中では「殺人の追憶」がベスト。観れなかった作品(スノーピアサー、パラサイト等)もそのうち観たい。いずれの日もかなり客が入ってたようで、他にも映画のイベントが集中する季節なのに相当な人気だと思う。正直なところポン・ジュノという名前だけ知っていながらどういう監督かはよく分かっていなかったので、まとめて観ることで良い勉強になった。こういう名画上映プログラムは探せばあちこちでやっているので、これからはもっと足を運んでみたい。

 

 

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わくわく

 

【読んだ】町田康『パンク侍、斬られて候』

 いやー、めっちゃんこ面白かった。否、面白かったという以上の何かだった。何だこれは?すげえ小説だ。町田康の小説はすげえ。どこを切り取ってもどうでもいいおふざけが書いてあるんだけど、どこを切り捨てても全体は成り立たないようにも思える。

 時代劇の体裁をとった作品でありつつ、たとえば主人公の素浪人に任せる仕事内容を喋っている「藩の重臣」のせりふはこんな感じ。

「いいねえ。万事そういう風に言って貰えるとこちらとしては非常にありがたいのだ。とかく会話には繁文縟礼というか時候の挨拶その他、儀礼的なことが多くて無駄だからね。一度、私は文字数をカウントしたことがあるのだが、電話の場合、そういう時候の挨拶やなんかが全体の90%を占めるんだよね。直接の面談の場合は、これも相手に断ってから録音、その上でカウントしたのだけれども、ちょっとさがって75%というのは顔が見えているから安心なのかね。それに比して、ファクシミリの場合27%、イーメールだと7%で、イーメールだと一分で互いに理解できる伝達事項が電話だと約十分を要するんだよね。これはおそるべき時間の無駄ですよ。ただしイーメールやファクシミリの場合、事前に自分の考えをまとめて文章にする必要があるでしょ。それを面倒くさがって、なにかというと電話で済まそうとする奴がいるが、あれには参るね。俺と話しながら考えをまとめるということは自分の脳を使ってやるべきことの半分を俺の脳を使ってやってるということだからね。それははっきりいって時間泥棒、頭脳泥棒だと思うのだけれどもね。それで、ええっと、私は何を喋ってたんだ?」

 

 「ええっと、何を喋ってたんだ?」は読者のセリフである。繰り返しになるけど、何だこれ?あっはっはと笑いながら読んでいって、最後あまりの結末に口を開けたままひっくり返る、これは何だ?時代劇の形式をとってはいるけど、時代劇の範疇には収まらない。

 おふざけと大まじめ、嘘と実、自由と不自由、そのどちらでもありどちらでもなく、ぬるぬるぬるぬるしたこの小説を評する力は私にないけれども、高橋源一郎の文庫版解説が非常に的確。

 ほんとうは、徹底的に無視したい。徹底的に貶して、こんな作家いなかったことにしたい。そんな気もする。いや、そんな気もしていた。ぼくは、町田康という小説家に、猛烈に嫉妬していたのだ。

 でも、腹をくくったよ。申し訳ないが、徹底的に誉めさせていただく。だって、町田康はすごすぎるからね。

 

 そう、すごすぎるのだ。 これ、読んだ人と会ったら、どんな話で盛り上がっていいのか分からないまま「あれ、すごいよね…」「ね、すごいよね…」と思い出し脱力で壁にずるずるもたれかかると思う。

 まずもって英訳不可能、これを日本語で読めることに深く感謝したくなる本だった。

 

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

 

 

続・ダウンタウン散歩(アーツ・ディストリクト)

 前回の続き。土曜日にアーツ・ディストリクト(芸術地区)に出かけた。LAダウンタウンの東側、もともと倉庫街だったところにギャラリーやらセレクトショップやらイカした盛り場が入って、若い人が集まるようになっている。

 スキッド・ロウという全米最悪レベルにホームレスが集中した(させられた?)地区のすぐ隣なので、盛り上がっているとはいってもやはり全体的に薄汚れて殺伐とした空気が漂っている。それによる緊張感が一種の魅力になっていると思うが、日が暮れる前に帰りましょうねーという感じ。

 市街地西部の私の家からバスでここを目指すと、まさにスキッド・ロウを突っ切ってくる形になる。林立するテントの間から路上にふらふら出てくる人たちがいっぱいいて、バスのクラクションは鳴りっぱなし。なんとも言えず気が滅入る。

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この辺の絵はグラフィティではなく壁画(mural)と呼ばれているみたい

 バスを降り、気を取り直す。落ち込んでてもホームレスは救えないし。

 まずは地図上で適当に当たりをつけた「A+D Architecture and Design Museum」へ。ここは建築とデザインをテーマにした展示スペース。Museumと名乗っているけど入場料があるわけでなく、帰りに好きな金額(10ドル推奨)を投げ銭していくというスタイルになっている。

 倉庫を改装した建物で、近郊4大学の建築学部の合同展をやっていた。模型や図面、映像を使って大学院生のコンセプトを見せるような展示。良いとか悪いとか語る素養は持ち合わせてないけど、ロサンゼルスの都市の問題にこういう造形でアプローチしますといった説明はわかりやすく、へーなるほどと思った。あと本筋じゃないけど、シンプルな材木でかっこよく見せる展示什器のアイデアとかしげしげと見入ってしまった。こういうの見るとついつい予算とか制作の段取りとか分析してしまう。

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学生っぽい客が熱心に見ていた

 あとここで面白かったのは、建築系の雑誌や図録、Zineなどを読み耽ることのできる図書スペースがあったこと。この日は暑いしそんなに知識もないしで素通りしたけど、好きな人にはたまらないのではないかと思う。

 やっていたのはこの大学展だけじゃなかったのだけど、ほかはスタイリッシュすぎてなんのことだかよく分からず。そもそもの目的が「わけのわからないものを見て頭をリセットする」だったので、無事に目的達成ということで次へ。

 次は「A+D」のすぐ近くにある「Art Share L.A.」。ここはギャラリーとちょっとしたホールと講義室と、あとたぶんアーティスト向けのレジデンスも提供している複合施設だ。

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入り口でピアノ弾いてるおじさんがいると思ったら人形だった

  ここもふらっと入れる感じで良かった。LA近郊の若いアーティストをバックアップしている施設として、ギャラリーにかかっている作品も近くに住んでる人の絵ばかりだった。これ面白い、と思ったらたいていインスタのアカウント名が表示されているのでその場でフォローできる。この日はホールでなにかの稽古だか撮影だかをしていたけど、しょっちゅうイベントをやっているようなので、予定を調べてまた来たら面白いかもしれない。

 

 ということで「A+D」も「Art Share L.A.」も初めて行ってみたら、周りの環境も含めて発見があった。実はスプレー缶による壁画のどぎつい感じとか、あまり好きではなかったのだけど、あまり食わず嫌いするもんじゃないなと思った。こういうところは足を運ぶほどに景色が広がっていくもんだと思うので、また気が向いたらちょくちょく行ってみたい。さびれた工業地域の活用は同じアメリカのポートランドを筆頭に世界中で起きていることなので、そういう観点で他と比較するのも面白い。

週末ダウンタウン散歩

  なんだか朝からむしゃくしゃして、わけのわからないものを見ようと思って、LAダウンタウンのアーツ・ディストリクトというところ*1に出かけた。そしたら3回も人に話しかけられた。普段の週末は引きこもったきり一言も人語を発さずに終わることも多い。今日は快挙である。

 まず、アートギャラリーを覗いたら、店番のアインシュタインみたいな爺さんに「おい」と声をかけられた。「それめっちゃええやん」「70年代かな、俺ライブ見たぞ」と。ナンノコッチャと思ったら、私の着ていたベルベット・アンダーグラウンドのTシャツの話だった。社交性のない私、はは、ありがとうと言って去ったけど、本当はどこで見たのどこどこ?とか返せば少し話ができたかもしれないよね。爺さん、つまらん客でごめんなさい。かまってくれて嬉しかった。

 それから乗った地下鉄では、隣に座ったいかついおじさんに話しかけられた。スキンヘッドで眉間にシワよせて「この列車はハリウッドへ行きますか?」と聞かれたので、「いいえ、行きません。次の駅で乗り換える必要があります」と答えた。おじさんは眉間にシワよせたまま「サンキュウ」と言った。お役に立ててよかった。

 ちょっと和んだのはリトルトーキョー紀伊國屋書店を冷やかしていたとき。漫画の棚を睨んでいた筋肉もりもりでタトゥーだらけの青年が「ねえねえちょっとお聞きしますが」という。なになに?と聞いてみるとスマホの画面を見せながら「これどこに並んでますか?」という。あ、あーこれは週マガの人気作だから向こうの棚じゃないかな、と教えてあげる。しばらくして向こうの方から「あったよ、ありがとう!」と満面の笑みで親指立ててくる筋肉男。よかったね、「ドメスティックな彼女」見つかって…。

 

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リトルトーキョーではハロウィンイベントがあるらしかった。

 

 妙に人に話しかけられる日だなあと思いながら紀伊國屋書店を出ると、あろうことか向こうから知り合いが歩いてきた。あろうことか、というのはそもそもこの街で知り合いの数がきわめて少ないので、向こうから知り合いが歩いてくるなんてことはこの2年絶えてなかったことなのだ。嬉しくて昔からの友達みたいな顔でがっしり握手してみる。ちょっと名前が思い出せないけどアイツもう友達だな。

 

オワリ。

 

(アートギャラリーのレポートはまた気が向いたら書きます)

 

 

 

*1:賃料の安い倉庫街に近年ギャラリーやブルワリーその他怪しい店が流入して、若者にウケているといわれている怪しいエリア

アジア梨

 梨を切った。いつもの韓国スーパーで買ってきた梨だ。「韓国直輸入」とラベルが貼ってあった。豊富なカリフォルニア産の果物に比べて割高だけど、たまにはいいかと思った。

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東アジアの秋

 

 真夜中に小腹がすいたので包丁で皮をむいて食べた。ざくざくした固めの果肉に歯を立てると、香気が鼻に抜ける。味もかなりしっかりと甘い。ちょうど田舎の仏壇なんかに供えてあったら似つかわしいのではないかという、慎ましい高級感である。

 今住んでいるカリフォルニア州は(水がないくせに)一大農業王国であって、スーパーには季節によって苺、葡萄、桃、柑橘など常に山盛りになっている。どれもおいしいのだが、好みの違いか果肉しっかり水気少なめのものが多く、味のばらつきもわりとある。もういい加減こちらの作物にも慣れきったけど、やっぱりときどき日本の「丹精こもった感じ」が懐かしくなるし、その渇きを潤してくれるのはうちの近くだと韓国スーパーなのである。感謝感謝。

【読んだ】中島敦「名人伝」「弟子」「李陵」

 こないだ「山月記」を読み返したことを書いたが、その後同じ文庫に収録されていた「名人伝」「弟子」「李陵」も読んだ。いずれも中国の古典に大胆に肉付けした短編・中編だ。初めて読んで、面白かった。

 「名人伝」は弓の名人を目指す主人公を通じて老荘思想の究極を示す説話。

 「弟子」は孔子の弟子の中でも随一の快男児たる子路の半生を通じて、人間のひとつの理想像を描いた話。

 「李陵」は漢の時代の三名の硬骨漢の数奇な運命を描いたもの。誇り高き中華の武将でありながら匈奴に下った李陵、匈奴に捕えられながら19年間も漢を裏切らなかった蘇武、敵に寝返った李陵を擁護したために宮刑を受ける羽目になった司馬遷、それぞれの生き様が対照的に語られる。人間は困難な状況に陥ったときにどう生きるのか、学ぶところが多い。

 「山月記」も合わせたこの4篇は、いずれも中島敦の死の直前か、死後に発表されたものだ。太平洋戦争の重苦しさを背景として書かれている。書いていた著者は今の私とほぼ同い年のはずだが、東西文学を深く血肉化した上での自在な筆致は遥か仰ぎ見るほど。その高みで、私達と同じ孤独と苦悩が暗く咲いている。

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 

 蛇足を加えると、数日前に訪れたサンフランシスコの美術館では、偶然にも老子に魅せられた日本人美術家の回顧展をやっていた。へえ老子はアルファベットでLaoziと書くのか、と思った。

 こういう本の中と外がつながるような経験は、何度やっても不思議に満たされた気持ちになる。中島敦が漢学世界へのすぐれたドアを作っておいてくれたおかげだ。