カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス駐在の日記です。2017年10月から

【読んでる】町村敬志『越境者たちのロスアンジェルス』

 ちょっと仕事が忙しくなってきたら、また変な夢を見た。

 自分はなぜか大学院生だという設定。架空の学会に向けてよく分からない発表予定を入れられ、よく知らないパネルディスカッションの司会もやれと言われ、え〜どうしよう困った困ったと言って準備に手がつかないうちに当日になってしまい、すっぽかして逃げた。すぐ捕まって架空の先輩にめっちゃ怒られる。「いきなり穴埋めさせられて本当に大変だったのよ?」ってネチネチ詰めてくる架空の博士院生の先輩。誰か知らんがすいませんすいませんなんだこれ夢がない!!

 完全に仕事の比喩である。夢のすべての要素が直近のストレスにあからさまに結びついていて、なんのひねりもない。寝た気がしない。やれやれ。今度の週末はきっちり気分転換しないといけない。

 

 大学院生になった夢とは関係ないけど、いや関係あるか、町村敬志先生の『越境者たちのロスアンジェルス』という本を読み始めた。99年に出た本で、90年代前半にUCLAで客員研究員をされてたときの調査に基づいて書かれている。これがもう自分の経験に実に深く関わる内容で、うおおおセンセーっと心の中で叫びながらページをめくっている。

 私は3年前にこの街に来たとき、目に見える風景に強烈な違和感を覚えて、それをブログに記録したりもした。本の最初の方には、私より20年以上前にこの街に降り立った町村先生もまた、似たような違和感を覚えたことが書かれている。そこでもう共感の嵐なのだが、私と違うのはその違和感を分厚い学識でごりごり掘り下げていくところだ。

 あらゆる人々がそれぞれに「違和感」を体験すること。ちょっと逆説的ではあるが 、この「違和感」の存在こそが、この街の開放性の証となっていることに、やがて気がついた。

 ロスアンジェルスという都市がみせるもうひとつの顔、それはむしろ徹底した「冷たさ」という一面にある。この街で期待されているのは、必ずしも暖かな「共同体」ではない。また、すべてを許してくれるような濃密な人間関係でもない。それを言葉にするのは難しい。しかし強いていえば、「居場所」のなさを「居場所」にするという独特の感覚が、人々のあいだには漂う。(P.18)

 まださわりを読んだだけだが、ロサンゼルスで私が日々感じている底抜けの自由さと、それと裏腹な寂しさ、根無し草の感覚が、社会科学の対象として書かれていくことの快感がある。さらに、この街の一見どうしようもない薄っぺらさに隠された、歴史の蓄積についても、これまで見聞きしてきた断片的印象が数珠つなぎに関係づけられていくこと、読めば読むほどである。すぐれた著述は読者の「嗚呼私はこれを言いたかったのだ」という感覚を誘導する。

 また、私の個人的経験を脇に置いても、町村先生が「エスニシティの都市」ロサンゼルスを書いていくそのやり方はとてもエキサイティングだ。私もごく自然にロサンゼルスはたくさんのエスニシティが集まっている都市なのだと認識していたが、この本では「人々がロサンゼルスをエスニシティで語るように仕向けられていること」それ自体が分析の対象となっている(らしい、たぶん)。「人種」というイシューがこれ以上ないほど顕在化した今のアメリカで、ちょうど手に取れるようにこの本を部屋に積んでいた私は、とてもえらい。

 

 いろんな意味で過去からの贈り物な読書です。

 

 

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