カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス生活の日記だったけど、今は大阪にいます。

砂漠について

 ロサンゼルス近郊の野山で遊ぶようになって分かったのは、乾燥地には乾燥地なりの命の輝きがあるということだ。 

 日本語の世界では「緑が多い」というフレーズには自然が豊かだというニュアンスが付与されており、その対極に「死の砂漠」といった表現がある。こんもりと茂った原生林に価値がある一方、「砂漠」と聞くと環境破壊の結果に過ぎないというような負のイメージがあるのではないだろうか。私はそうだった。

 1年前、アメリカに来て最初にハイキングに行っが、そのときにはまだ目が慣れていなかった。砂っぽく日差しが照りつける中、カサカサとこびりついている植物たちが、どのような工夫で命をつないでいるのか、またそれにどんな生き物が頼って生きているのか、まったく分からなかった。乾いている、それしか分からなかった。

 でも、何度か山歩きを繰り返して地面を見つめるうちに、ただの白い砂地と思っていたところに非常に豊かで強い生態系があることが分かってきた。密度は低いが、昆虫も鳥も蛇もカエルもピューマも、干ばつや山火事や外来種や開発に耐えて、しぶとく暮らしている。仕事でアメリカのあちこち出張するようにもなって、カリフォルニアの自然のユニークさというのも少し分かるようになってきた。

 国内出張の後、飛行機でロサンゼルスに帰ってくるときはたいてい、北米で最も乾燥した地域であるモハーヴェ砂漠の上空を通る。赤茶けた大地に赤茶けた皺のような山脈が刻まれたその光景は「荒涼」としか言いようがないが、今の私はそんな場所でも目を凝らせば花が咲き、蝶が舞っているのを知っている。やれやれやっと砂だらけの街に帰ってこれたと、ほっとするのである。

 Twitterで生き物アカウントをフォローしていると、命が押しくら饅頭しているような日本の自然の様子がたくさん流れてきて、居ても立ってもいられない気持ちになるが、きっとここを離れたら離れたで、内部からギラギラ光を発しているような砂漠の生き物たちを懐かしく想うのだろう。滞在たった1年ばかりながら、私の一部はここに根を張りつつある。

 

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サボテンの花。2018年6月、Santa Rosa Plateau (CA)にて。

 

角煮

 大都会ロサンゼルスの片隅で、ときどき角煮を作る。私の住むコリアタウンは豚バラのブロックが安く手に入るのだ。多文化コミュニティ様様だ。自然から人間が得ているあらゆる恩恵をひっくるめて「生態系サービス」と言ったりするが、この豚肉も「文化の多様性サービス」である。

 レシピはウー・ウェンさんのもの*1を参考にしている。一口大に切ってから煮るのであまり時間がかからなくて助かる。香りづけの八角は「アニス」として米系スーパーで普通に売っている。和カラシもあちこちに売っているが、今は前任者の置いていったチューブをまだ使っている。賞味期限が2年前で風味もトンでいるが、山盛り絞れば多少は香る。

 できたてのホロホロのも無論旨いが、夜中に口淋しくて、固くなったものを冷蔵庫から直接つまむのも良い。噛んでいると味が出てきてカワキ物の趣がある。

 何より最近再認識しているのが、一緒に煮たネギやショウガのクタクタになったのが最高においしいということである。要するに佃煮なのだが、ラードがねっとりしみていてごはん力が非常に高い。軽く炒めて熱したのを冷たいうどんにぶっかけるなどするのも良い。佃煮業界は縮小傾向とも聞くが、脂ギトギト路線はあまり攻められてないのではなかろうか。「食べるラー油」のような新市場が眠っているかもしれない。

 

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*1:ウー・ウェン、李映林『となりの国のスープとごはん』レタスクラブ(2007)中国・韓国のやさしい家庭の味が紹介されていて素晴らしい本です。

枕頭の書

 『宮沢賢治詩集』を最近またよく読み返している。かれこれ15年くらい身近に置いているが、ページを開くたびに鮮烈な字句が目に飛び込んでくる。詩の一編一編が強すぎて少しずつしか読めないのと、読んだ先から忘れてしまうからである。あるいは私が少しずつ年をとって、読むたびに違う自分になっているからである。

 この本を手に入れた高校生(中学生だったか)の頃には、初期の作品に見られる喪失、情愛、焦燥、それらを含んで暗く燃える青春の動揺に激しく同調した。「春と修羅」の「ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」に出てくる「おれ」は俺のことだ!俺は修羅だ!と布団の中でまんじりともせず何度も読み返した。できかけのぐちゃぐちゃの自我で頭がぐるぐる興奮している時期、この本は鎮静剤のような、命綱のような、「ライナスの毛布」だった。読んでいるうちに自分がばらばらに分解されて、きれいな結晶の形に並べ直されていくような感覚があった。

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 心の常備薬であったから、どこへ行くにも帯同した。初めて沖縄で貧乏旅行したときも、どでかいザックでヨーロッパ回ったときも、もしものときに備えて懐に入れていた。安ホステルの二段ベッド、ときには三段ベッドに横になって、何ページかめくる。そのうち頭が静かになって眠くなる、というのが旅のルーティンになった。

 大事な本なのでアメリカ行きの引越荷物にも一番に詰め込んで持ってきている。

 齢アラサーになった最近、また枕元に置いてちびちび読んでいるのだが、気づくのは賢治30代前半から晩年にかけての労働や農業をうたった詩篇にずいぶん共感できるようになったということである。渾身の肥料計画が予想を外してこれから農民に謝りに行かねば…とか、苦心のすえついに稲がきれいに実ったぜざまあみろ…とか、そういう、仕事上の挫折や喜びに根ざした作品には、高校の頃はあんまりピンとこなかった。いまは痛いほどわかる。仕事や人間関係でモヤモヤしたときも、熱いシャワーを浴びてから後期の作品群に目を落とすと、すっと夜露がおりるように考えの「腫れ」がひいてゆく。

 

 

 詩以外の童話等も含めるともう四半世紀くらいずっと宮沢賢治が好きだが、昔はあまりに自分の内面と同一化(というか依存)して鑑賞していたため、恥ずかしくて他人にもそんな話はしなかった。彼が死んだ歳に近くなったせいか、少し対等な距離を置いて語れるようになった気がして、ちょっと文章にしてみた。

 

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おわり。

日曜午後のメモ

リトルトーキョー、交差点に面したカフェ。

窓際のスツールに座っている。

ブレンドコーヒーは酸っぱくて、甘栗のような後味。

テーブルの上には考えのまとまらないノート。

箇条書きと、因果関係の曖昧な矢印が散らばっている。

黒のロングドレスの女性がカフェオレを四つテイクアウト。深いスリットがまぶしい。

かっこいいスニーカーを履いたおじさんが二人、手をつないで入ってくる。おそろいの半ズボン。

奥のソファの夫婦はペーパーバックに眼を落としたまま、微動だにしない。

ガラス窓の向こうでは、ローラースルーゴーゴーを駆る幼女。

痩せた店員はカウンターの中でカーペンターズを口ずさんでいる。

隣のテーブルではさっきから若いカップルが私の知らない言葉で語り合っている。

考えは相変わらずまとまらないが、紙に書き出してみると、何が結論の妨げになっているかは明白だ。

やるべきことに星印をつけて、何かひとつ進んだ気になり。

さっきガムを踏んだ靴底がうっとうしい。

物量のトマト

 「10缶で10ドル!」というセールをやっていたので、トマトの缶詰を10個も買ってしまった。我に返って途方に暮れつつ、頭の中では「トマト缶十番勝負」と墨文字が黒々と踊っている。戦いが始まったのだ。だって、ふだんそんなに使わないもの、ひとり暮らし。最近体質が変わったのかあまりパスタは食べなくなったし、基本的に家では米飯なのだ。ごはんに合うトマト料理というのはあまり思いつかない。

 たぶんひたすら肉や魚をトマトで煮ていくことになると思う。旨味と塩味を強調すれば、それなりのおかずになるだろう。おなかの調子のいいときにはスパゲティ茹でてもいいし。安さにつられて購入したのに、ストックの多さで精神的な負債を背負ったような気分で、愚かなことだ。

 だいたい、10缶セットという売り方が大変に米国的だ。キッチン収納の狭い日本でこれやっても客は見向きもしないんじゃないだろうか。さすが大量消費社会の本家本元である。

 アメリカに来て最初に目についたのが「Buy One Get One」という文句で、これは本当にそこらじゅうにあふれている。「1個買えば1個タダでさしあげます」という意味なのだが、ひとり暮らしの私としては、ほとんどの場合、ほしいのは1個だけなのだ。2個いらんから1個を半額にしてくれや…と思いながら、でも1個タダと言われると、なんとなく2個受け取ってしまうのが悲しいところで、すごく無駄な経済行為に加担した気がして後ろめたい。

 前にカフェでコーヒーを買おうとしたら「今日はBuy One Get Oneだからもう1杯サービス」と言われたこともあった。こっちのどでかいコーヒーを2杯も飲んだらカフェイン中毒でおかしくなっちまう。そのときは同僚に引き取ってもらったから良かったけど。

 こういう「量」への素朴な信頼というのは社会にあふれていて、環境問題なんかで立ち止まってオルタナティブを考える動きもあるっちゃあるけど、基本的には供給サイドは「多いほうがいいでしょ?」というスタンスだ。なんとなくそれが景気のいい雰囲気を醸し出している効能もあり、良いとか悪いとかでなく、自分もそれに少しずつ染まっているのだと思う。そのうち缶詰10個買ってもびくともしなくなるんだろう。

はじめてmixiやってからもう十年

 そういえば、SNSというものに手を出してからもう10年以上経っている。大学入って気持ちがふわふわしている頃に、サークルの勧誘とかで先輩が「みくしーやってる?」とか聞いてきて、それなんですかと聞いても「インターネットで友達に日記を見せる仕組みだよ」「とにかくやればわかる!」とか言うので、みくしーっていう名前もアホっぽいし先輩の説明もアホっぽいし、すげー怪しい…と思いながら、「みんなやってる」というこれまたそれなりにアホな理由で自分を納得させて、アカウントを作ってみたのが始まりだった。

 mixiを始めた頃にはあんなに中毒のようにハマるとは思わなかったし、朝から晩まで「あしあと」チェックしていた頃には、数年後こんなキレイに廃れるとも思わなかった。留学生を通じて早い時期からFacebookもやったし、韓国のCyworldも一時期熱心にやっていた。その頃から続けているのはFacebookだけだが、これも初期とは全然別のサービスと言ってよいくらい変わってしまって、昔はほとんど学生しかいなかったのに今や中高年SNSとか揶揄される始末で、本当にオンラインの世界は目まぐるしい。

 良くも悪くもSNS漬けの20代だったと思う。SNSによって耕された友人関係は数知れない一方、余計な摩擦にさらされるようになった面もある。考えを発信する訓練がたくさんできたけれど、自分の不十分な言葉にとらわれて物が見えなくなったり、承認欲求に振り回されたりもした。本当に良くも悪くも、である。SNSがなければどうなっていたか?ということを考えてみると面白いし、何周も回って紙とペンが心地よくなっていたりする今日このごろである。

世界はせまい(かつ広い)

連休だったので

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 メキシコ行ってきた。

 現地駐在の人が一緒に遊んでくれたおかげで、3日間の弾丸日程ではありえないほど満喫できた。その旅行の中身はまた今度にするとして、ちょっとしたおまけエピソード。

 最終日の今日、滞在中世話を焼いてくれた人の仕事場にお邪魔すると、「あの〜、その節は…」と近づいてくる人影あり。誰かと思って見てみると、東京本社の仕事でご一緒した学生さんではないか。5年ぶりくらいの再会である。5年経っているので、正確にはもう学生さんではなく、今は院生さんらしい。ここで週2回バイトしながらメキシコシティの大学で勉強しているということだ。あらまあ。

 たまたま私が顔を出した日がこの人の出勤日だったという偶然も面白いし、はたちそこらだった学生さんが立派に成長しているのが嬉しい。それから、会わなくなってずいぶん経つのにも関わらず、すかさずというか、てらいなくというか、声をかけてくれたのも、なんだかまぶしい気がする。私が逆の立場だったら「きっと覚えてないだろうな…」と決めつけて、知らん顔してしまうかもしれない。こういう瞬発力のある社交性が、外向きの職業に必要なんだろうなあと思う。

 人のことばかり感心してないで、自分ももう少し気さくにふるまわなきゃ。などと思いながらロサンゼルスに帰着。

 空港からのLyft*1の運転手はベラルーシから来た人だった。少し前に日本に遊びに行って、特に東京の道行く女性のファッションが素晴らしかったよ〜、でも馬肉を出されたときにはどうしても食べられなかったよ〜等々、思い出話を聞かせてもらう。本当に楽しかったらしいので、また東京来てね〜と言って車を降りた。スパシーバ(ありがとう)と言いたかったのに、ズドラーストヴィチェ(こんにちは)と言ってしまって笑われた。いい夜である。

*1:ライドシェアサービスの一つ。Uberのライバル