カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス生活の日記だったけど、今は大阪にいます。

【読んだ】中島敦「名人伝」「弟子」「李陵」

 こないだ「山月記」を読み返したことを書いたが、その後同じ文庫に収録されていた「名人伝」「弟子」「李陵」も読んだ。いずれも中国の古典に大胆に肉付けした短編・中編だ。初めて読んで、面白かった。

 「名人伝」は弓の名人を目指す主人公を通じて老荘思想の究極を示す説話。

 「弟子」は孔子の弟子の中でも随一の快男児たる子路の半生を通じて、人間のひとつの理想像を描いた話。

 「李陵」は漢の時代の三名の硬骨漢の数奇な運命を描いたもの。誇り高き中華の武将でありながら匈奴に下った李陵、匈奴に捕えられながら19年間も漢を裏切らなかった蘇武、敵に寝返った李陵を擁護したために宮刑を受ける羽目になった司馬遷、それぞれの生き様が対照的に語られる。人間は困難な状況に陥ったときにどう生きるのか、学ぶところが多い。

 「山月記」も合わせたこの4篇は、いずれも中島敦の死の直前か、死後に発表されたものだ。太平洋戦争の重苦しさを背景として書かれている。書いていた著者は今の私とほぼ同い年のはずだが、東西文学を深く血肉化した上での自在な筆致は遥か仰ぎ見るほど。その高みで、私達と同じ孤独と苦悩が暗く咲いている。

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 

 蛇足を加えると、数日前に訪れたサンフランシスコの美術館では、偶然にも老子に魅せられた日本人美術家の回顧展をやっていた。へえ老子はアルファベットでLaoziと書くのか、と思った。

 こういう本の中と外がつながるような経験は、何度やっても不思議に満たされた気持ちになる。中島敦が漢学世界へのすぐれたドアを作っておいてくれたおかげだ。

サンフランシスコ散歩(歩道の落書き)

 サンフランシスコの歩道を下向いて歩いてたら、こんな落書きがあった。

 

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 「DEPORT TECHIES」テック野郎どもを追い出せ、といった意味合いか。路上や信号の柱に社会への不満が殴り書きされているのは珍しくないが、よそ者には意味が分からないものがほとんどだ。そんな中でこれは珍しくローカルな文脈が読み取れて面白い。

 Deportという単語はおそらく「Deport Trump, Make America Great Again」という反トランプのスローガンからの引用だ。不法移民の強制送還を進める大統領に対して「トランプをまず追放しよう」と皮肉ったフレーズである。私が見つけたこの落書きでは、非難の対象がトランプからTechies、すなわちシリコンバレーのIT企業の人たちに置き換えられている。

 サンフランシスコでは全米で最悪レベルに家賃高騰が進んでいて、その大きな原因がシリコンバレーの高所得労働者の流入だと言われている。三方を海に囲まれた狭い街で、初任給1000万円以上の人たちがばんばん部屋を借りるもんだから大変である。あるソースによると2019年春の時点で、ワンベッドと呼ばれる「寝室+リビング」のアパートの平均家賃は約40万円/月である。

 ロサンゼルスの家賃も高いが、さらにその5割増しほど高い。庶民がまともな部屋を借りることはありえないような状況だ。その結果、ホームレスが大量発生している。一時収容施設ですら家賃が高すぎて開設できない。住宅の需給バランスが狂ってしまっていること、そしてそれを是正する政策が機能していないことで、街中が苦しんでいるのだ。

 「DEPORT TECHIES」はこうした問題を抱えた人々の恨みつらみをたった2語に込めた優れたコピーである。誰が書いたのか知らないが、私のようなふやけた外国人もハッとさせる力がある。

 これを見つけた界隈にはTwitterUberの本社があり、観光・ショッピングスポットの固まった中心地だが、ホームレスもものすごく多い。前に来たときはTwitter本社の前に注射器が転がっていた。サンフランシスコ、文化的魅力にあふれていてアメリカの都市として一、二を争うくらい好きだが、闇もまた深い。

サンフランシスコ散歩(ミッション地区)

 出張でサンフランシスコに行った。スキマ時間でミッション地区を少しだけ歩いてきた。ミッション地区はもともと所得の低いヒスパニック系が集住していたところだ。地価の安かったところに、近年シリコンバレーのIT長者向けのオシャレスポットがぼこぼこできている。流行の発信地として注目される一方、ジェントリフィケーションが激しく進行した場所でもある。前に来たときにその中心部のにぎやかさは見物したので、今回は少し外れたところに行ってみた。

 向かったのはAlley Cat Books & Gallery。以前本屋巡りをしたときにリストアップしていたが、ルートを組めなくて寄れなかった書店だ。

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「路地の猫書店」

 開発から生き残った昔ながらのメキシカンな通りに、素敵な存在感を漂わせている。入り口に垂れ下がったレインボーのリボンをくぐると、右手にスペイン語書籍の棚があり、左手には大きなフィクションとアート本の棚が並んでいる。詩やフェミニズム、マイノリティの権利などについての本を重点的に揃えながら、ポップさも失わない品揃えになっている。

 意外に奥行きのある店内には所狭しと中米のアートが飾ってあるが、最奥部はその中でも特にギャラリースペースになっていて、原色の骸骨モチーフの絵がたくさんかけてある。詩の朗読なんかもここでやるらしい。

 ヒスパニックのことはよく分からず食指が動かなかったので、SFのコーナーにあったル・グウィンのインタビュー集を買った。天井が高くカラッとして良い本屋だった。荷物に余裕のあるときにまた足を運びたい。

 店を出るとお腹がすいていた。グーグルマップを見るとタコス屋だらけである。タコスはそんなに食べたくなかったので、アジア飯屋を探したが、ある店の前で足が止まった。

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あまりにいいにおいがするので

 メキシコ飯はやめようと思っていたのでいっぺん通り過ぎかけたが、私の鼻が戻れ戻れと訴えるので振り返るといかにも雰囲気が良い。地元の人がリラックスして昼飯を食っている。せっかくミッション地区に来たのにパッタイや寿司を食うのもな、と思い直して入ってみた。

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大正解

 適当に肉のサンドイッチを頼んでみたら、これが実に美味しい。作りたてでジューシー、味付けは控えめでぜんぜんパサパサしないし、ぺろりと平らげてしまった。小さいサイズが選べるのもありがたい。(小さくなかったけど)

 満足してこの食堂を出て、何気ないパン屋でアイスコーヒーを買ったらこれもとても美味しい。飲んだあとで気づいたのだが、途中で薄くならないように、コーヒーを凍らせた氷が入っている。安いのにこんな細かい気配りのある飲み物はアメリカで飲んだことがない。ちょっと感動してしまった。中東系と思われる親子が店を回していたけど、忙しそうなのに対応は親切でとても感じが良かった。

 滞在時間は1時間ちょっとだけだったけど、目当ての本屋以外にもいくつか発見があった。ミッション地区の目抜き通りから外れるので観光客はほとんどいないが、公共交通機関と歩きで成り立っていることからくる独特の親しみやすさがある。ロサンゼルスは車社会すぎて、歩きながら面白いものを探す、という楽しみ方がほとんどできない。それもあって、久しぶりに足を使えてわくわくした。

 

ソウルフードの共通項

 ペンシルベニア州フィラデルフィアに行ってきた。合衆国建国の史跡が残る東部の古い街である。

 そこの名物「チーズステーキ」(Philly Cheesesteak)がこれ。↓

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 炒めた薄切り牛肉と玉ねぎをロールパンに挟んで、上から溶けたチーズをかけたもの。むちゃくちゃしょっぱくて、でかい。大人のげんこつ3つ分くらい。写真のものには一応ロブスターも入っているのだが、しょっぱさとチーズにまぎれて味がよく分からない。

 

 皆さんどう思いますでしょうか。

 

 おそらく日本にいた頃の私なら、そのシンプルさに呆れたと思う。あるいは嘲笑すらしたかもしれない。「太りそう・・・」とか「まずそう・・・」とか。*1

 しかし百聞は一見に如かず。食べてみた。

 まず、「太りそう」は否定できない。1,000kcalは余裕で超えそうだし、内臓や血管がぐええと呻いている感じがする。しかし、以外なことに、味の面ではフツウに食べられた。というか、ビールとワインで流し込むように食うとまあまあうまい。あれ?

 脂肪と塩分と炭水化物の波状攻撃。すごく疲れる味なのだが、なんだかこういうジャンルに馴染みがある気がして仕方がない。なんだこの懐かしさは…?しばらく考えてハタと思いたった。これ、「すた丼」じゃないか。

 「すた丼」とは山盛り飯にニンニク醤油で炒めた豚肉を乗せたもので、今「伝説のすた丼屋」として全国チェーン展開している店の看板メニューである。元々は北多摩地域の腹ペコ学生のために開発された一品であり、同地域で青春を過ごした人間のソウルフードとなっている。発祥の地で暴走族をやっていた宇梶剛士さんも昔から好きだという話がある。私も学生時代は毎週食っていた。(毎日食ってた同級生は軒並み激太りしていった)

 チーズステーキ、これに似ている。

 

豚肉の醤油炒め→牛肉のチーズ炒め

山盛り飯→ドデカロールパン

長ねぎ→玉ねぎ

 

という違いはあれど、健康を度外視した味と量のコンセプトはほぼ同じだ。愛されるわけである。

 思いがけず見つけた、アメリ東海岸と故郷との共通項。

*1:普通に食欲をそそられる方もいらっしゃるかもしれないが、主観の話なのでご容赦を。

【読んでる】Charles Bukowski 'Hollywood'

 ブコウスキーという人の『Hollywood』という本を読んでいる。しばらく前から一日に2、3ページずつ読み進めていて、おそらく年内には読み終わるのではないかと思う。そうするとこの本が私にとって「初めて読み通した大人向けの英語の長編小説」ということになる。中学校から英語を習い始めて十数年、ここまでずいぶんゆっくり来たもんだ。

 なぜこれまで何回も英語の本に挫折しながら、今回は苦もなく読めているのだろうか。もちろん私の読む力が少しは上がったと考えたいが、実際は本書の内容によるところも大きい。

 この本は、作者自身を投影したおじさん作家が「書けねえなあ」とこぼしながら酒を飲みまくる話である。80年代のロサンゼルスが舞台になっていて、当時のハリウッドに巣食う怪しい業界人や正体不明の酔っぱらい、異常者が次々に出てくる。いろんな奇人がなんだかわかったようなわからないような自分勝手な話をしてくるのだが、主人公たるブコウスキーのリアクションはとにかくワインを飲むことに集約されている。人に会えば「よお」と挨拶代わりにワインを飲み、話を聞きながらワインを飲み、聞き終わったら「へえ」と言って乾杯する。人に会わなくても飲んでるし、飲みすぎて頭が痛いと言って飲んでる。若くて優しい配偶者も「アンタそんなに飲んだら死ぬよ」とか言いながら一緒に飲んでる。

 いちおうあらすじとしては「映画の脚本を頼まれて書く話」であるっぽいのだが、3分の1ほど読んだところでまだ脚本は1文字も書かれていないし、主人公の言動からは書こうという意志も感じられない。たぶんワインは50本くらい空いている。

 なぜ読みやすいかというところに戻ると、内容が真にどうでもいいからという気がしている。とにかくやさぐれ中年が変な人に会ったり酔っ払ったりしてる話なので、多少単語が分からなかったり登場人物の名前を忘れたりしても問題ないのだ。いっそ読者も飲みながら読むくらいでようやく釣り合いが取れる感じだ。

 しかし、全ページに充満するその「どうでもいい感じ」がどうにも心地よい。好き勝手にふらふらうろうろしている登場人物たちの姿にある種の自由を見出しているのかもしれない。酔っ払った人のどうでもいい与太話をわざわざ本で読んで、得るものは何かというと特にないんだけど、あまりに無軌道なエピソードに笑ってしまって、それでいいではないか。「生産性」など糞食らえだ。

 この小説を、舞台となったロサンゼルスで読めているのも幸せな巡り合わせだ。ああこれはあのへんのことね、と思い浮かべながら読むのはとても楽しい。自分の住んでいる街の30年前の姿、それも酔っ払い目線で書かれた姿、には薄汚れた魅力がある。おそらくここに来る前に本書を手にとっても、何が書かれているのかよく分からなかったと思う。あと、スラングが満載なので、日本語訳ではこのニュアンスは汲み取れなかったかもしれない。『パンク、ハリウッドを行く』という邦題で訳されているようだけど、ちょっとピンと来ない。

 これを買ったのはThe Last Bookstoreというダウンタウンのちょっと変わった本屋で(といってもアメリカで「フツウの本屋」というのは滅びつつあるのだが)、地元本を集めた棚で目に止まった。ブコウスキーはロサンゼルスで長く活動した人なので、その棚には他にも著作がたくさん並んでいる。その中で『Hollywood』がいちばん手がつけやすそうだった。章立てが細切れになっていて、少しずつ読むのに向いていそうだと思ったんだけど、その見立ては正しかった。これからもしばらく晩酌代わりにちびちび読む夜が続きそうだ。

 

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【読んだ】中島敦「山月記」

 日曜。

 昼頃起き出して、洗濯して飯を食ってアニメ見て…と前日とほぼ同じ展開。昨日は冷凍ピザだったので、今日は健康的に白菜と鶏を煮る。最近仕入れた柚子胡椒がたいへん合う。軽く掃除などしていると小腹がすいた。さっきの鍋にうどんを入れたらこれまたうまい。

 満腹で眠くなったがここで寝たら豚なので、ちょっと読書。中島敦山月記」を読む。教科書で読んだのは高校でだったか、それ以来の再読だ。初めてのときはその格調高い漢文訓読体が印象に残っているが、いま文庫本で手にとって見ると、意外に読みやすい文章だったということが分かる。こんなに短い話だったっけ、という感じ。

 「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というフレーズに、高校生当時うおーそれそれ俺それ!と興奮したのを覚えている。これは全然過去形ではなくて、三十過ぎた今でも悩まされ続けている課題である。昔よりはちょっとはマシになっただろうか。とはいえ三十過ぎて悩まされているのも当然だ。この話は著者が三十三歳で死ぬ直前に発表したもので、そもそもちょうど私くらいの年齢の心情を反映したものなのだ。私が虎にならずに済んでいるのは先に「山月記」が警告を発してくれていたからに過ぎない。

 すごい作品だなーと噛み締めながらなんとなくTwitterを開いたら、有名ミュージシャンが「漢文の訓読意味なくね?」というツイートで炎上していてずっこけた。漢文の訓読がなかったら日本の古典文学は成立しなかったし、それを中島敦が再洗練することもなかったし、それにインスパイアされたハンバートハンバートの名曲「虎」も生まれなかったし、それを聞いて私が雷に打たれることもなかった。アジア全域で共有された知的財産の数千年分にアクセスするスキルを学校で教えてもらえるなんて、めちゃくちゃお得なのに…。

 ちなみに手元にあるのはこれもまた何かと話題の新潮社版。在ロサンゼルスの邦人読書家のオアシスたるブックオフ・ガーデナ店で買った。いい本は新刊で買わないとな。反省。でもブックオフもなくなると困るんだ。。。

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 

快晴、冷凍ピザ、ネトフリ

 何もない土曜日、起きたら昼だった。

 窓を開けて外をうかがうと、じりじり照りつけるいつもの快晴だ。ロサンゼルスは海風が吹く日は涼しいが、内陸の砂漠から乾いた風が吹くとカッと暑くなる。まっこと洗濯日和である。(年間300日くらいは洗濯日和である)

 たまった洗濯物を抱えてランドリー室に行こうとしたら洗剤が切れていた。ので買いに行くことにした。近くのスーパーまで歩く道は、炎天下に相変わらずうっすらマリファナとおしっこの臭いがただよっている。

 スーパーのアジア食品コーナーを覗くと、ネットで話題になっていたラオガンマという中国の具入りラー油があったので買ってみる。本当は花椒の粉末が欲しかったんだけど、ただの米系スーパーなのでさすがに置いてなかった。せっかく来たので(普段は韓国系スーパーしか行かないので)アメリカっぽいもの買ったろと思って「冷凍ピザ」も買った。あと少し野菜と、肝心の洗剤も買って帰った。

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1枚1,800kcal

 帰ると1時を回っていたので、さっそくピザを焼いてみることにした。予熱したオーブンに突っ込んで20分待つだけ。具なしの商品だったので絶対飽きると思い、トマトとピーマンもトッピングしてみた。オーブンを温めている間に洗濯機も回し、時間の節約を図る。洗い上がった服を部屋で干しているといい匂いがしてきた。

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ちょっと焦げた

 意外と美味そうだ。包丁で6等分して、テレビの前でかぶりついたらまあまあイケる。オーブンのスイッチを押しただけにしては上等だ。4〜6ドルくらいで1枚買えるので、安上がりでもある。半分で腹いっぱいになるので、今日は昼と夜でようやく片付けたけど、たぶんこれ一回で食い切る人もいるんだろうな。すげえな。

 ピザ食いながらネットフリックスでアニメ見てると、アメリカで引きこもってる実感があった。飲み物が麦茶だったのだけ悔いが残る。次やるときはコーラも買ってこようと思う。体に悪いので当分やらんけど。