カリフォルニアの本と虫

ロサンゼルス生活の日記だったけど、今は大阪にいます。

パサデナ堪能(山、美術館、本屋、映画館)

 充実した土曜日だった。盛り込みすぎて詳しく書けないけど、時系列順に以下の通り。

 

1.ハイキング〜Echo Mountain

 お世話になっている山歩きグループの皆さんと、ロサンゼルス近郊のEcho Mountain(968m)へ。一年ちょっとの間にこれで三回目のすぐ行けてすぐ登れる手軽なコースだ。今週半ばまで長雨が続いていたが、もうすっかり晴れて夏の陽気だ。上半身裸のトレイルランナー多数。もう冬、終わり。雨のせいであちこち崩れて、ボランティアチームの人が山道を直していた。頭が下がる。

 眺望大変よし。100年前には山頂まで山岳鉄道が通っていて、上流階級の社交場になっていたというちょっとした史跡でもある。今はそのリゾート施設は火事で焼け落ちて久しいのだが、山頂にホテルの基礎や線路跡が残されていて面白い。

 

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ピーカン晴れ

 

2.美術館〜USC Asia Pacific Museum

 山を降りてささっと汗を拭いたら麓のパサデナという街へ。ロサンゼルスの北東部に位置する高級住宅地である。そこのUSC Asia Pacific Museum(南カリフォルニア大学アジア太平洋美術館)に前から行きたかったのでまっすぐ向かう。今度ここで知り合いが講演をするので、場所を下見しておきたかった。

 企画展の展示替え中で常設展のみの見学となったが、客が少なくてかえって落ち着いて観賞することができた。太平洋の島々、南アジア、東南アジア、日中韓シルクロード…とそれぞれ小部屋ひとつくらいのこじんまりした美術館だ。展示点数は多くないが、パプアニューギニアの祭礼用の打楽器やミャンマーの仏経典、中国ミャオ族の装束などが目を引く。大学施設だけあってキャプションもちゃんと読むとけっこう勉強になることが書いてある。

 

3.本屋巡り

 元気が余ってるので映画を観て帰ることにしたが、映画までは時間があったので目抜き通りをちょっと歩いてみることに。こざっぱりしていて個性的な店も多く、歩いて面白い。

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紫の夕暮れ、満月、椰子


 Vroman's Bookstoreという書店が街の顔になっているようだったので前からのぞいてみたかったのだが、そこにたどり着くまでに思いがけず二軒も別の本屋に当たってしまった。

 まず、Half Off Books Records Filmsという変な古本屋。なにが変って、看板に誘われて地下に降りていくと、陳列が床。ジャンルごとに島になっていて、それぞれの品揃えにそれほど特色はなかったが、ディスプレイの自由さが小気味良い。店名通り、壁の周りにはCD、レコード、映画のDVDもぐるっと並んでいる。BGMをかけているスピーカーはかなり良いものだ。ぼーっと本を眺めていると「あ、そーれ!よいしょ!」とか変な日本語の歌が耳に入ってきた。妙な魅力を感じて歌詞をググってみたら、くるりの「Liberty&Gravity」という曲だった。くるり、こんな変な歌作ってたのか(ほめてる)。店員さんがプレイリスト組んでいるんだったらかなりの通と見た。あたりを見回すと日本のマンガもけっこう置いてある。

 迷いつつ「バカでも分かるビジネス」みたいな図解本と、フェミニストのエッセイを購入。

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店の奥に棚板が山積みになっているので、そのうち棚を作る意志はある模様

 Half Offを出て、よしVroman'sに向かおうと歩いていたら、道の向こうに浮かぶまた別の「Books」の看板。パサデナ、なかなかあなどれない。見つけてしまったからにはのぞかずにはいられないぞ。

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初めての街で偶然本屋を見つけることの嬉しさよ

 このBattery Books & Musicという店はさっきの若者のエネルギーに満ちた店とは一味違って、落ち着いた古書店のたたずまい。いかしたジャズの流れる散らかった店の奥で、もさっとしたおじさんがレジでもそもそしている。映画まで時間がないのだが、けっこうしっかりチェックせざるを得ない品揃え。ナショナルジオグラフィックの生き物本と、アメリカ文学の古典を買う。値段めっちゃ良心的だった。ジャズのライブをよくやるらしいので、またそのときに来てみたい。

 寄り道しすぎて本命のVroman'sが三軒目になってしまった。ぜんぜん時間がなく、数分で店内の配置のみ把握して出る。二階建てで中は相当に広く、全ジャンル、一通りの好奇心に対応する豊かな品揃え。おしゃれなカード、ボードゲーム、文房具、その他雑貨も多く取り揃えて、閉店間近なのに客がけっこう入っていた。こういう大きくて何でもある本屋は、英語の不得手な外国人にとってはちゃちゃっとレポートするのが難しいのだが、間違いなくこの地域の知的な中心の一つという感じがした。こういう店があるというのは救いである。

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由緒正しき街の本屋さん

4.ピザ食う

 映画の前の腹ごしらえ。ニューヨークスタイルというのか、薄っぺらい生地にぱぱっと具を散らして窯で焼いてくれるピザが滅法うまいのである。一人でふらっと入れる店でもあってありがたい。

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冷めると悲しいので、熱いうちにとにかく口に入れてコーラで流し込む

5.映画

 映画館のホームページで適当に選んだ「If Beale Street Could Talk」という作品を観る。愛し合うアフリカ系の若いカップルの男のほうが無実の強姦罪でつかまってしまい、彼がつかまったあとに妊娠が発覚した彼女の方や、家族・友人が苦しみながら右往左往する話。背景知識なしでセリフもあんまり聞き取れなかったが、ストーリーはだいたい分かった。主人公たちの愛情の純粋さと、周りの人間関係の結びつきの強さと、アメリカの孕む民族間の複雑な緊張と、すべて一つの物語に織り込んだ力作だと思う。

 ヒロインとその母親の演技がすごくて、苦しみの中でも人は光を放つのだと知らされる。あと音楽も良い。映像も美しいのだが、ちょっとこれでもかというところがあって、セリフがきちんと聞ければあんまり冗長には感じないのかしらと少し寂しい気持ちもあり。日本でもミニシアターでやるんじゃないかな。

 

 以上、おなかいっぱいの土曜日でした。

【読んだ】小倉美惠子『オオカミの護符』

 武蔵国出身者として非常に興味深い本だった。実家の土蔵に貼られた一枚の護符から、文書の記録や古老のインタビューを頼りに辿りに辿って関東一円の山岳信仰を掘り起こし、神秘と驚異相半ばしたニホンオオカミに向き合った先達の姿に思いを馳せるプロセスが丁寧に描かれる。読んでいて、場面切り替えと語り口がドキュメンタリー番組のようだなと思っていたら、その通り、同名のドキュメンタリー映画が先にあって、それをプロデューサーの小倉さんがあらためて本にしたということなのだった。

 どうしてこのようないささかマニアックな本を持っていたかというと、三年前に読んだ『中央線がなかったら 見えてくる東京の古層』という本がきっかけである。中央線という近代に入ってから強力に東京の地理を再編成してきた存在を取っ払ってみると、地形と信仰とが密接に絡み合って成立した「土着の東京」が浮かび上がって見えてくる、という本で、当時一人暮らししていた中野区の良さがいまいち分からなくて殺伐としていた私にはとても響いたのだった。その中で(か、それに触発されて読んだ関連書籍の中で)参考文献として挙げられていたのが『オオカミの護符』である。絶対面白いだろうからぜひ書店で買いたいと思ってほうぼう探したのだがなかなか見つからず、結局古本をアマゾンで注文してしまった。

 三年積ん読にしていたのだが、アメリカ、そしてロサンゼルスという「土着のものが(要するに先住民文化)後から来た資本主義に激しく塗りつぶされている土地」にやって来た今こそ読むべきじゃないかと思い、手にとった。私は東京出身なので、東京から始まるこの物語を多少なりとも自分のこととして読んだが、たとえ関東の人間でなくとも、この本が取り上げているほんの数十年前までの人々の世界観については、多くの人がうっすら関心を抱いていると思う。単行本の帯文に内山節が「戻りたい未来がこの本にある」と書いているように、まさに「先を見据えて戻る」ということが必要なのではないかと最近考えている。それは単なるノスタルジーとは異なる行為だと思う。

 

 

オオカミの護符 (新潮文庫)

オオカミの護符 (新潮文庫)

 

 

外国語と体調

 火曜日の食あたりから三日ほど、絶不調でダメにしてしまった。職場には一日で復帰したものの、頻繁にトイレに立つので集中できやしないし、時差ボケの調整も大失敗なので眠いこと眠いこと。新学期のスタートダッシュを決めてライバルに差をつけるはずだったのに、体力が落ちるというのは悲しいことだ。

 帰省中にある集まりで赤ちゃんを抱く機会があったのだが、ほーれほーれと左右に揺するたびに、全身で凝り固まった我が関節たちがパキポキと小気味良い音をたててくれて、もちろん腕の中の赤子は絶対にそんな音はしないくらいふにゃふにゃで、その対比にひとり寂寞とした。いつからこうなってしまったのか。

 まだ大した歳でもないのにこんなことではいけない、と奮起していたところだったのに、年始から消化器系が全力ブレーキである。

 早く治れ〜と内心で念仏のように唱えながら困ったのが、英語がぜんぜん出てこない。私程度の会話力では日本に二週間もいたら出てこなくなるのは当たり前なのだが、ぜんぜんしゃべる気さえ湧いてこない。頭の中で「うーきもちわるい」「きつい」「だるい」と日本語による不快の表現が氾濫しているため、英語への切り替えができないのである。短いメールさえ億劫だし、単語が出てこないので人と話したくないし、話さないので余計に言葉が回復しないという悪循環だ。

 バリバリ英語をしゃべるのにもまずは体調を整えることが重要、健康第一だ…という前回と同じ結論に至ったところで今日はお開き。休まねば。

食あたりでダウンしてました

 昨日未明から食中毒のような症状で、トイレと布団の往復を20時間ほど続けていた。ひたすら休んでいたらどうやらおさまってきたけど、まだ胃腸がキュルキュル動いて落ち着かない。話に聞くノロウイルスの症状ほどではなかったけど、一時は上からも下からも水が出て、頭痛もするし熱も出るし、なかなかハードだった。すごい冷や汗が出て、指先がしびれて、浸透圧が狂ってる感じがしたので、慌てて塩と砂糖を舐めたり、ウンウン唸りながら戦っていた。一日中寝ていたので夜半過ぎからは全く眠れなくなり、せっかく日本からの時差ボケが軽く済みそうだったのに台無しである。

 あらためて、健康第一ということを思い知らされる。日本を離れるとき「元気で帰ってくるのが唯一の仕事だ」と会社の歓送会で言ってくださった人がいるが、まったく大げさではない。どこで病気したって大変なことは大変だけど、まして勝手のわからない外国で大病したらシャレにならない。

 せっかく海外に来ているのだからあれをやろうこれをやろうという気負いもなくはないが、まずは毎日ふつうに出勤することを最低目標に、体調に気をつけていこうと思う。とりあえず、今回水分補給に困ったので、元気になったら日系スーパーかどこかでポカリの粉を買っておかねば。

 

 

 

 

 ところで寝ている間ヒマなので、いしいひさいちのミステリ・パロディを読んでいた。よくもこんなに読むもんだというくらい古今東西の作品が茶化されていて、元ネタがほとんどわからない私でも笑えたので、ミステリ好きにはもっと面白いのだと思います。

COMICAL MYSTERY TOUR 4 長~~~いお別れ (創元推理文庫)

COMICAL MYSTERY TOUR 4 長~~~いお別れ (創元推理文庫)

 

 

【読んだ】隈研吾『自然な建築』

 冒頭、「二十世紀はコンクリートの時代であった」と隈研吾は言う。部材の劣化や素材の性質を無視して、自由かつ安価かつ即時的に建築家のイメージを具現化できるコンクリート造という手法が、地縁・血縁、すなわち時間的なつながりから人々を切断していったグローバリゼーションを支える普遍的建築として世界中に広がったのが、二十世紀という時代であったという。

 『自然な建築』は、そのようなコンクリートの時代が見落としてきた自然素材の意義を見つめ直し、現代的な建築に取り入れてきた著者の作例集である。また、それぞれの作品に通底する思想についての解説書でもある。

 私がこの本を購入したのは、アメリカで出会ったある日本人建築家が「日本の建築についての入門書は隈のあの本が良い」と教えてくれたからだ。(だったと思う。近頃記憶が曖昧で困る。まあともかく買った)

 そして積ん読にしていたこの本を私が手にとって読んだのは、先日訪れたオレゴン州の「ポートランド日本庭園」で彼の設計による建物(文末写真)を実際に見たからだ。アメリカ人の係員に「ここは有名なケンゴ・クマが建てたのですよ」と言われても、建築に無知な私は正直ピンとこない。ケンゴ・クマとキンゴ・タツ*1の違いも最近まで分かっていなかったくらいで、木や草をうまく取り込んだそのオシャレな建物を目の前にしても、「は〜なんかいい感じですねえ」くらいの感想しか浮かんでこない。せっかく実物を見たのにこれではもったいないと思って、帰宅後この岩波新書のページを開いた。

 読んでみて、とても良かった。嗚呼あれはそういうことだったんですね、と建物を見た記憶と照らし合わせて理解を深めることができた。それだけでなく、「意図をもって建築をする」ということがどういうことなのか、素人にも分かるように易しく書いてあるのがまた良い。この本からもらったパースペクティブは、隈研吾だけでなく、他のあらゆる建築を見るときにも手がかりにすることができそうだ。私のような建築音痴にぜひ勧めたい。

 

 ところでこの記事を書きながらWikipediaの「隈研吾」作品一覧を読んでいたら、知らぬ間にけっこう彼の作品にお世話になっていた。というか、この年始の帰省だけでも、銀座の歌舞伎座ビルと丸の内のKITTEビルに行っている。知らぬ間にいろいろつながっているものである。おそるべし。

 

 

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ポートランド日本庭園のCultural Village。レクチャーや研修のできる講義室、ショップ、事務室等を備える。隈研吾設計。

 

 

自然な建築 (岩波新書)

自然な建築 (岩波新書)

 

 

 

*1:辰野金吾は東京駅を設計した人で百年前に死んでます。隈研吾は存命で現役バリバリ。

2019年の抱負

 昨日、日本からロサンゼルスに帰ってきた。年末年始は家族や友人と過ごすことができて、とても良かった。慌ただしくあちこち行っていて充分とは言えないまでも、大切な人たちとゆっくり話し、自分の来し方行く末を見つめ直すという、実に年末年始らしい時間が持てた。

 おかげで去年とは打って変わっていろいろ「今年の目標」などを考えてしまい、考えていたら10個くらい浮かんでしまい、ちょっと意気込みすぎなきらいもあるけど、忘れないうちにここに書いて自分を縛っておきたい。

  • 読むこと

  昨年はあまり本を読まなかったので、たくさん読みたい。とりあえず年100冊が目標だが、無闇に100という数字を達成するというよりかは、テーマを決めて文脈を作って勉強のために読んでいくということを大事にしたい。あと、英語文献を20冊は読みたい。(本屋巡りをしながら英書も気兼ねなく買うようになってしまったので、せめてそれくらい読まないと追いつかない)

  • 書くこと

 今年は、自分の能力として鍛錬するという意味で、「書くこと」に取り組んでみたい。日々面白いと思ったことはきちんとこのブログなり、友人に書かせてもらっているウェブ同人「沼ZINE」に書いて伝えていくし、手紙をたくさん書いて、私的な言葉遣いも洗練させたい。また、ずっと翻訳しなければならないと思いつつ棚上げにしていた韓国語の文献ともそろそろ向き合わなければならない。

 幾人かの恩師、友人が私の書くものを好きだと言ってくれているにもかかわらず、いろいろと言い訳を並べて「一生懸命書く」ということから逃げてきているのだが、いい加減みっともないので覚悟を決めてゴリゴリやろうと思う。

  • 遊ぶこと

 アメリカにいるうちにしかできないことで、楽しくて、かつ自分の肥やしになりそうなこと、を考えてみると、どうやら「自然」と「独立書店」をあちこち見て回るということに収斂してきそうな気がしている。そうと決まれば、幸い今年は連休が多そうなので、週末はアパートに籠もらず、キャンプや小旅行を面倒がらずに計画したい。もちろん新しいフィールドにも積極的に首を突っ込んでいきたい。

 

 他にも細々あるが、以上、だいたいの今年の抱負である。

 

 

 さてさて、ついさっきまではなまるうどんで「冷ぶっかけ中おねがしゃっす」とか言ってたのに、10時間飛行機で爆睡したらもうアメリカである。ハーイ、ハワユー、センキューの世界である。渡米の当初は「How are you?」という質問文に対して「いつもI'm fineなわけじゃねえよな…」と考え込むこともしばしばだったが、今はなんのてらいもなく「サイコーだぜ!」と返している。慣れるもんだなあと思う。

 夕方のロサンゼルス空港はいつもの通りものすごい混雑で、入国審査は1時間待ちだった。ぶっきらぼうな係員の指図に従って蛇腹折りの列を延々と歩かされていると、ああもう日本じゃないなと頭のスイッチが切り替わる。不快に感じたら負け、どれだけ平常心で幸せなことだけ拾っていけるかのゲームである。1時間行列に並んでようやく入国審査官に呼ばれる。10秒でスタンプを押してもらい、Thank you.の言葉とともにニカッとパスポートを返してもらうと心底ホッとする。非人間的なシステムの中で、たまに目の前に現れる人間の表情のありがたいことといったら。

 2019年、目標は高く、でも引き続き幸福のハードルは低く、やっていきたいと思う。

2018年に読んだもの振り返り③(終)『宮本から君へ』

 すでに2018年は終わってしまってマヌケだが、振り返りをもう一本だけ。

 本をあまり読まなかったかわりに、マンガはかなり読んだ一年だった。食わず嫌いだったKindleを導入したのをきっかけに、300冊は読んだのではないかと思う。劇画狼さんの紹介を参考に読んだ『はぐれアイドル地獄変』『青猫について』『バイオレンス・アクション』『エリア51』はどれも抜群に面白かった。どれも美女が暴力をふるう話だが、美女が暴力をふるったら面白いに決まっている。「つばな」も劇画狼さんの活動で知ってハマった。『惑星クローゼット』はやばくてやばい、続きが気になりすぎる。

 『戦闘破壊学園ダンゲロス』は久しぶりに没頭して一気に読めたマンガだった。コミカライズの横田卓馬は『背筋をピン!と』で真っ当な青春モノを描くなあと思っていたのに、その前にこんな変態作品を手がけていたとは知らなんだ。『オナニーマスター黒沢』も彼の作品だと。上手だ…。

 マンガの話はキリがない。

 何と言っても年末に駆け込みで心底揺さぶられたのは、新井英樹『宮本から君へ』。主人公はサラリーマン「宮本」。下のサムネイルに見える通りひたすらまっすぐでいいやつなのだが、とにかくやることなすこと壁にぶつかり、打ちのめされまくる、という話だ。作者はインタビューで「どのマンガよりも主人公に優しくないマンガにしよう」と言っているように、「宮本」の幸不幸の落差が本当に激しい。私は最終巻を読み終わって一週間以上経つが、ひどい目に遭うくだりがあんまり辛かったので、まだ胃のあたりが重たい感じだ。

 それでも最後まで読み切ったのは、このマンガが全編真剣に生きている人間の姿で溢れかえっているからだ。脇役も全員、ただの引き立て役でなく、それぞれの人生を生きており、こんな気迫をぶつけられてしまっては読者としてとにかく一所懸命ページをめくるしかない。劇薬のような作品で、誰にでも勧めたいかというとそうではないが、私にとっては2018年いちばんの収穫だった。放心。